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「BANDITS#1 仙人掌の花」
−3−
泣きはらした跡もなく、怯えの色もない。ただ冷め切った目だった。
それが、俺の姿を認めた途端、笑った。薄ぼんやりと、微笑んだ。
そうして俺を誰何する。
どなたですか。ああ、人の名前を聞くときは、まず自分から名乗らなければいけないんですよね。わたしはティニーといいます。
頭のネジが弛んでやがる。
あの虚ろな目を見ていなければ、そう思っただろう。そうして、頭の弱い姫君と蔑んだろう。
しかし気圧された俺は、ただ、自分の名前だけいい残し、その場を立ち去ったのだ。
軽く頭を振り、思考を振り払う。
予想を外して――めそめそと己の不幸を嘆くバカ娘というステロタイプを描いていたから、だから俺は少し動揺してしまったのだろう。見慣れない、育ちのいい人間の雰囲気が、場にあまりにもそぐわなくて、それで調子が狂ってしまっただけなのだ。
顔を上げると、剣を磨いていたはずのアアイが、にんまり笑って俺を見ていた。
「悩める青少年?」
「なんの話だ」
「綺麗な娘だからねえ」
「だからなんの話だよ」
青いねー、などといいつつ、アアイは剣磨きに戻る。
「そろそろ戻ってくる頃か」
むっつりと、クリューゲがいった。
「んー、ティウツ達?」
「ああ」
「首尾よくことが運んだかねえ」
興味なさげにいって、アアイはけらけら笑った。それから再び、俺に目を向けるが。
俺はそれに気付かない振りをして、部屋を出た。
ドナールの腹心であるティウツが、フリージとの交渉に出かけたのは一昨日のことだ。アルスター、ましてやメルゲンは馬で丸一日とかかる距離ではない。結果がどうであれ、早けりゃ今晩あたり戻って来てもおかしくはない。
王族との交渉など、下手すりゃ即消されちまうだろうにと。どうするつもりだと聞いた親父に、蛇の道は蛇、とにやりと笑った。ティウツは独自のコネを持っているのだろう。昔、俺達の仲間になる前はフリージの騎士団にいたというクリューゲが、ティウツには見覚えがあるといったこともあったな。
するとひょっとして、この一件はティウツが唆してのことなのだろうか。
下卑た笑いのまばら髭を思い出す。俺はドナールの親爺は嫌いではないが、ティウツだけはどうにもいけ好かなかった。
まあ、どうでもいいことだが。
――空気の淀んだ半地下に、彼女はいる。
下り階段を前に逡巡し、それから踵を返した。
外に出て、馬屋へ向かった。
馬屋と呼んでいるが、実のところは兵士達の訓練場だったのだと思う。石造りのがらんとした建物。扉という扉、窓という窓が全て外されていて、近づくとまあなんだ、馬糞が香る。
中に入ると、一番奥に褐色の塊がいた。翼に鼻面つっこんで寝こけている。ダナエ。おそらく生まれはトラキアの、竜。
彼女は俺の気配に気付いて顔を上げ。
「みぎゃ」
一声鳴いた。
「うん」
俺は意味もなく頷いて、藁くずに座った。ダナエにべったり凭れて。背中から、うろこ越しの体温が伝わってくる。暖かい。
ダナエは再び、鼻面を翼に仕舞った。
遊んでもらえるわけではない、そう理解して、夢の続きを見ることにしたのだろう。
一五年程前。
ダーナの砂漠で、竜騎士団と槍騎士団の戦闘があった。
砂漠に於いて馬の足が竜の機動力に敵うわけもなく、戦況は一方的だった。戦いなどではない、なぶり殺しであり、虐殺である。
――と、見てきたようにそう語ったのは、実際見てきた親父だ。
盗賊である親父達は、戦場に残された「落とし物」や「忘れ物」を回収するため、その場で隠れて見ていたのだそうだ。始終を。
死んだ兵士の装備品などは、多少壊れていようとも売れば結構な金になる。落とし物を拾って、売るだけ。楽で、実入りは大きい。美味しい仕事なのだ。
そこに、ダナエがいた。
竜騎士達が立ち去った後、残されていたのは死屍累々。殆どの者に息はなく、あったとしても時間の問題。
そんな中に、ダナエはいたのだ。主人と思しき竜騎士の遺体に寄り添うようにうずくまっていた竜。瀕死という程ではないにしてもそれなりの怪我を負い、なにより羽根を痛めて飛ぶことが出来なかった。だから、置き去りにされたのだのだろう。飼い慣らされた竜というのは貴重なので、ただ捨てていくことはあり得ない。
それで、物好きな親父はダナエを拾った。
一五年の歳月はダナエの羽根を完全に治療したが、すっかり臆病になったダナエは争いを嫌う。ちょっとした小競り合いにすら恐慌を来す彼女の前で、刃物沙汰は御法度だ。
けれど。のんびり、主に荷物運びに存在意義を見出す現在のダナエは、俺の目には楽しそうに見える。
まあ、竜の表情などわかるものではないが。
なんとなく、漠然と。
感じるのは暗雲だ。
ダナエの体温に温まりながら、ぼんやりと馬屋の天井を見上げる。梁と屋根を支える束の配置が、綺麗な幾何学模様を作っていた。
それでなにもかも面倒になって、ゆったり俺は目を閉じた。青く生臭いダナエの匂いすら、今は心地よい。
「リーフさん、リーフさん、リーフさん」
名前を呼ばれ、目が覚めた。
目を開けると、困り顔がある。
それが、うぐるるる、とあげたダナエの唸り声に。一瞬強ばり、えらい勢いで遠ざかった。
身を起こす。
セマが、向かい側の壁に張り付いていた。――なにをやっているんだか。
ダナエはぐるぐる唸ってセマを威嚇している。突然起こされて不機嫌なのか、俺の眠りを妨げたのが不満なのか、あるいはセマの反応を面白がっているのか。どっちにしろ、可愛い奴。
「どうした」
やれやれと膝を立て、壁画に声をかける。
セマの後ろ、明かり取りの高窓の向こうはとっぷり日の暮れた夜。ここに来たのは昼過ぎだったから、随分と長く眠っていたことになる。
すると、こいつは。ランドックのおやっさんにいわれて、俺を探しに来たってとこだろう。
「アアイさんが、すぐに来いと」
外れ。
「アアイが、なんだって」
「その、ティウツさん達が帰ってきまして。面白いから、呼んでこいと」
「面白いから?」
……なに考えてんだろうな、アアイの奴は。
けど、まあこれで、あの少女ともお別れだ。最後にもう一度、あの辛気くさい面を見ておくのも悪くはない。
俺は立ち上がり、ダナエを一撫でし。
そして、馬屋を後にした。
「ところでセマ、お前まだダナエが怖いのか」
「怖くないリーフさんの方がおかしいんですよ。竜ですよ、竜。あんな大きいのに間近で唸られて、身の危険を感じないなんて変ですよ」
「ほー」
「あれですね、盗賊生活なんか長いことなさっているから、危険に麻痺しちゃってるんでしょうね」
「へー」
「でもそれって危ないんですよ。危機管理能力が低下してるってことですからね」
「はー」
「そうしてリーフさんは、新たな危険を求めて無茶をするんですよ。気を付けて下さいねー」
「お前明日ダナエの餌係ね」
「うえっ!?」
危機管理能力が低下しているのはお前だ。すっかり慣れやがって。
−4−
「会議室」などと尤もらしく呼ばれている広い部屋に入ると、まず目に入ったのは怒り心頭と思しきドナールの面だった。
その前に、縮こまるティウツ。
テーブルを挟んで対角に、憮然とした親父と、にやにや笑っているアアイがいる。ランドックとクリューゲの姿はなかった。まあ、クリューゲ達が席を外している理由はわかる気がするが。というか、アアイが同席しているのがおかしいんだな。ただの野次馬なのだから。
ドナールは俺を一瞥し、ち、と舌打ちした。
構わず俺はアアイの隣に座る。セマも一緒についてきて、更に隣に落ち着いた。
「交渉失敗したんだって」
可笑しそうに、アアイは小声でいった。
「は」
どういうことだ、と俺が聞き返す前に。
こづかれよろめいて、フリージの娘が入ってきた。
青白い顔で一瞬室内を窺い見、そして俯く。
彼女を連れてきた者、ティウツの部下で俺は顔見知り程度にしか知らない男が、立ち尽くす彼女を椅子に座らせた。
雰囲気から愉快な話ではないと察しているんだろう。彼女の白い手は、膝の上の布地を強く握りしめている。
ドナールが唸った。
「末は帝国の王妃となる大事な娘、身代金などいい値で払うと、そういっていたのはどの口だ、あん?」
「いや、しかし、フリージの王女が帝国の皇子といい仲だってのは確かな情報で」
詰問に、ティウツが慌てていいわけするも。
「それでどうして、その娘のために支払う対価などない、という返答が返ってくるんだよ」
ティウツは曖昧に笑って、小さく肩を竦める。口端が引きつっていた。
「――それは、イシュタル姉さまのことなので、」
突然、細い声が響いた。
不意をつかれぎょっとした俺達は、さぞ滑稽な面だったろう。
全員の注視を集めた彼女は、ぼんやりと顔を上げた。顔色は蒼白。澄んだ声。ティニー。
「わたしは、ブルーム伯父さまの娘ではありません。姪です。フリージに連なる者ですが、王女なんかではありません」
淡々と。
「人違いなんですよ」
そういって、彼女は笑った。ただ、笑った。
この女は、面白いかも知れない。
「ぷ」
アアイが吹き出した。
「うくくくく。可笑しい、面白すぎ。最高」
堪えようという素振りすら見せず、笑いながら指さして少女を賞賛している。
きょとんと、そうして初めて不安の色を見せた彼女と。
なんとも間の抜けた舞台仕立てに。
憮然とした親父も、口の端はなんとなくひくつき。セマは親父とアアイとドナールの間に目を彷徨わせおろおろしている。
本当に、滑稽だ。
「あーははははは。ティウツの旦那、人違いだって。大ポカ」
「う、うるさいっ」
ドナールの前で青ざめていたのが一転、真っ赤になってアアイを睨むティウツ。
一触即発、雰囲気は最悪。そして、それに怯む者はこの場にない。セマ除く。
ガタンと殊更大きな音を立て椅子を倒して立ち上がったティウツを皮切りに、たちまち怒号と煽りの渦が巻き起こった。
アアイはにやにや笑いながら待ち構える。完全に面白がっていた。第一四回サーヴ砦杯決勝、西手ティウツ得物斧、東手アアイ得物大剣、ってとこか。
ところで未だ発言のない首領に目を向けると、ドナールは渋面だった。さもありなん。
自分の発言が現況を招いたことが判っているだろうティニーは、所在なげに首を傾げていた。
罵声を飛ばし会う面々を見比べ、部屋全体を見回す。ついと。
そして。俺と目が合い。
びくり、と。冗談のように身を震わせた。
皆喧噪に気が惹かれ、自分は忘れ去られていると油断したのだろう。彼女を注視している者がいるなど思いもよらなかったに違いない。
実は不意をつかれたのは俺も同じなのだが、そこはそれ踏んだ場数が違う。焦った様子などおくびにも出さず、平然と構える。
いわゆるびっくり眼というやつ、目一杯見開いた眼で、彼女は俺を凝視する。紫水晶の瞳で――今、初めて気付いたのだが、彼女の瞳は紫色だ。菫よりも赤く淡く。夕から夜に替わる僅かの間の空の色。
――と、一見傍観者よろしく観察結果を述べている俺だが。
現状を客観的に且つひとことでいうならば、俺達は見つめ合っていた。
機会を失ったのだ。目を逸らす。
なんと表現したものか、慣れない空気に戸惑う。
とても居心地が悪い。
けれど、
「手前らいい加減にしねぇか!」
胴間声の一喝が、俺を引き戻した。
喧噪は一瞬で静まり、皆一斉に声の主へ目を向ける。
流石ドナール、腐っても首領。
ティウツとその部下達、そしてアアイが部屋から追い出され、部屋に残ったのは五人。ドナール、親父、俺、なぜかセマ、そしてティニー。
親父はため息をつき、ドナールを正面に見据えた。
「さて、どうするつもりだドナール」
「どうするもこうするも。身分も半端だしただ返すのも癪だ、娼館にでも売っぱらっちまうしかねぇだろう」
――一瞬。彼女の目に、怯えの色が宿った。しかしすぐ消える。残ったのは、茫洋として虚。
ああ、畜生。
「そんな貧相で陰気なガキ、娼館に売ったって買い叩かれるのがオチだぜ」
俺の発言に。
砦の首領と副首領は、揃って剣呑な目を向けた。ガキが生意気いってんじゃねえ、と。まあ、そんなコトを目つきは語っている。揃って。気が合ってるじゃねぇか。
構わず、俺は続けた。
「早まるこたねえよ。半端だって随分な身分だ、そのうち利用価値も出てくるだろうぜ。俺が面倒見るよ。いいだろ」
「リーフ、」
黙ってろ、と続けようとした親父を止めたのはドナールだった。
一転、にやついた表情で。
「なんだ、リーフ。ご執心だな。惚れたのか」
そんな戯れ言を、やけに嬉しそうにほざく。
まあ、このおっさんの下世話で俗物なところは、俺は嫌いではないのだが。
結局、面倒見のいい親分なのだ。
「ああ、そう取ってくれて構わないぜ」
不適に笑って期待に適う返答をしてやると。
豪快に笑ったドナールは、俺の背を力一杯叩いてくれた。畜生、少しは手加減しやがれ。
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