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「BANDITS#1 仙人掌の花」
−5−
俺の一番古い記憶は、乾いた荒野と青い空だ。
ダナエが左右に尻尾を振って歩く横に、危なっかしい足取りで並ぶ子供。土煙に目をこすり、石や砂に足を取られ。前によろけてはダナエの前足に支えられ、後ろに転けては尻尾に起こされる。
家出、というか、砦出を敢行していたのだと思う。
ダナエだけをお供に連れ、俺は闇雲に、荒野を歩いていたのだ。
日差しは痛いようで、目を眇める。それで余計、足下は危なっかしい。喉は渇くし疲れるし、さっき転んでついた手の平は痛い。
それでもムキになって歩き続けたのは、意地になってしまったのだろう。そもそもなにが理由で砦を出たのか、その辺りはよく覚えていないのだが。
とにかく俺は荒野を歩いていて、ダナエは飽きることなくそれに付き合っていた。
暫くして、なにかの足音が後ろをついてくるのに気付いた。
俺は立ち止まる。足音も止まる。歩き出す。足音も再び聞こえ出す。止まる。足音も止まる。――振り返る。
すこし距離を置いて、そこには足の太い馬がいた。親父を乗せて。
ぶん、と振り戻り、俺は再び歩き出す。
馬の足音も、再び始まる。
そのまま無言で、ときどきダナエがぐるぐる唸る以外は全く無言で、俺達は歩き続けた。
次の記憶は、見慣れた砦の寝台だった。
おう、随分がんばったな、と、俺の顔を見てドナールがにやりと笑う。親父は、と問うと、まだ寝ている、と返答があった。
手の平には布が巻いてあって、痛みはもう無い。
やんちゃすんのはいいけどよ、あんまり面倒かけるんじゃねぇぜ。と俺の頭をわしわしかき混ぜ、腹減ったろ飯にすんぞ、そういって立ち上がった。
ぱたぱたと食事に向かう途中、親父の部屋を覗くと。しんと静かで、寝息だけが聞こえる。随分と熟睡しているようだった。
それが、なんとなく、嬉しかった。
読み書きを教えてくれた、今はもういない老人との時間から逃げ出さなくなったのは、それ以降のこと。
まあ、それだけの話だ。
−6−
翌朝。アアイが満面の笑みでにじり寄ってきた。
後ろには、こっちと目を合わせようとしない挙動不審な男を従えている。
かつて砦の食堂として機能していた割合広めのこの部屋は、現在も食堂として利用されている。厨房が隣接、というか併設されているため、他の用途には利用し難いのだが、そもそも無理に利用しなければならない他の用途なんぞ存在しない。
そこで現在俺は朝食の真っ最中だった。
向かいにはつい昨日まで牢にいた少女が座っている。
昨夜、俺が引き取ることになった彼女は、取り敢えず明け渡してやった俺の寝台で就寝した。
ドナールにああいった手前、しばらくこいつは俺が身近に置いて面倒見るほかない。他に空き部屋がないではないが、掃除やらなにやらの支度をしてやるのは面倒だし、目の届く範囲に置いておかないと別の意味で面倒になりそうな気もする。幸い自室は広いし――個室争奪戦に勝利しておいて本当によかった。
そんな、どうでもいい考え事に気を逸らす。やれやれとため息をつきながら意識を少女に戻すと、既に彼女は静かな寝息をたてていた。寝具に潜ってから、まだ、それ程時間は経っていない。
なんて度胸だ。それとも、疲れていたのか。或いは、緊張の糸が一気に弛んだか。――俺と一緒で?
長椅子に寝っ転がって、早いとこ、彼女の寝具を用意しなくちゃな、と現実的な方面へ思考を誘導する。
しかし、ついと視線は彼女へ向かい。
結局長いこと、ぼんやりと、少女の寝顔を、眺めていた。
おかげで今朝は睡眠不足だ。
食事は各々調達支度、の原則に則って、ざっと用意してやったパンと果汁水とプレーンオムレツ。それを彼女は不思議そうに眺めたり手にしたフォークでつついたりしている。
確かに、綺麗な少女だ。典雅な育ちに造られただけでなく、元が美形なのだろう。身体付きは貧相だが、それは時間の問題って奴だ。
それが、アアイの影に気付き、
「おはようございます」
そういって、頭を下げた。
結った髪の一房が、オムレツを撫でる。
「あ」
彼女は慌てて頭を上げ、けど意外と機敏に、ソースの付いた髪を掴んだ。これで服や皮膚へのソース付着という二次災害は防がれる。
困ったように、彼女は俺に目を向けた。
まったく、どうしろってんだか。
黙ったまま俺が台拭きを投げてやると、彼女はそれで髪を拭いた。
「ふーん」
意味ありげに笑うアアイ。
なにをいいたがっているのかは、にやついた口元と後ろにいる僧服のバカを見れば一目瞭然だが。話を振ってやるほど親切な気分ではない俺は、黙ったまま食事を続ける。
食事を終えた俺とティニーは、後から来たくせに俺達と同時に食事を終えたアアイとセマに引きずられ、場所を馬屋に移した。
先に来ていたらしいクリューゲが、愛馬に餌をやっている。
「リューまでいるのか。お前ら暇すぎだ」
まあ、クリューゲに関しては、元フリージ騎士って事情から現状に興味がわくのはわからんでもないが。
「さあて。それじゃあきりきり、白状してもらおうか」
ダナエの陣取る一画に落ち着いたアアイは、ご丁寧に人数分用意された椅子に前後ろに座り、背もたれに顎を預けそうほざく。
ちなみにこの椅子は馬屋備え付けのもので、人数分の運搬をしたのはおそらくティニーよりは腕力のあるだろうセマだ。その功労者は、最もダナエから距離を取った位置に座っていた。餌係をやってなお、打ち解けるには至らなかったらしい。
ティニーは、呆然とダナエを見上げていた。
ダナエも、その長い首を持ち上げ、興味津々ティニーを見下ろしている。
「竜を見るのは初めてか」
問うと、小さく首を振った。
けど、と続ける。
「こんなに近くで見るのは、初めてです」
その間も、ダナエから目は離さない。
ダナエは少し頭を下げ、ティニーに視線を合わせた。緋色の目がぐるぐる回っている。
綺麗なんですね、とティニーはいった。褐色の鱗が、つやつやして、と。
名前はダナエだ、と教えてやると、深々と頭を下げた。
「わたしはティニーです。ダナエさん、よろしくお願いします」
ダナエはのどを鳴らし、目を閉じる。
ティニーが腕を伸ばし、ダナエの首を撫でた。
なんというか、双方面白い反応だ。
ところでアアイ達の用件というか目的は、まあお約束だが昨夜の話だった。
竜と少女のほのぼの空間に「和むねえ」などと呟いた後、アアイは俺に向き直って釈明を求める。しかし釈明って。アアイの言葉選びのセンスについては一度とことん話し合う必要があるな。
「釈明もなにも、セマに全部聞いたんだろ」
それ以上なにを話せというのやら。寄る辺なくなったティニーを、俺が引き取った。それだけだ。
ティニーに目を向けると、まだダナエを撫でていた。随分と楽しそうだ。
「聞いたけどねえ。じゃあ、セマの話がホントにホントでホントなのね」
なにがいいたいんだこいつは。というか、そこまでくどく追いすがるってのは、セマは一体、どんな説明をしたっていうんだろう。
「リーフは彼女に惚れちった、と。春だねえ」
季節を問うならば、今は夏。
……と、つっこみを入れるのもなにやら虚しく。
アアイの笑みはにんまりとしか形容のしようがなく、無口無愛想で通るクリューゲも口端を吊り上げていた。
俺はこめかみを揉みほぐして黙考する。それからゆっくりと、怯える小動物系青年を振り返った。
「セマくん。ちょっとサシで話がしたいんだけど、今都合はいいかなあ」
笑いながら親愛なる僧侶殿にそう窺うと、セマは青い顔で首を横に振り、アアイとクリューゲに縋るように目を向けた。
救いの手など、しかし当然現れるわけなどない。
セマにヘッドロックをかけながら事情を簡潔に説明し――つまり、彼女を俺の女だということにしておけば、他の奴らは早々手出しできないだろう、わかれそれくらい――、しかし、こいつらの含みある目は変わらなかった。
つまり人は、自分が信じたいことを信じる。
面白けりゃ真実などどうでもいいのだ、特にこういう場合は。
ところで俺達がそんなコントを繰り広げている間。
ティニーとダナエは延々親交を深め合っていたらしい。
ダナエさんと仲良しになりました、とは、馬屋を出て後のティニーの談だ。
−7−
「――つまり、他の奴らに手出しされちゃ困るっていう、その感情がどこから生まれているのかが問題なわけよ」
それは随分と説明的な疑問だこと。
簡単だよ。まだ利用価値があるのが、傷モンになったらまずいだろ。
「それは程度によるじゃない。極端な話、五体満足で生きてればいいわけだし」
おい。
「だいたい、お綺麗に保存しておきたいなら、ちょっといい部屋に幽閉しとく方が安全じゃない。うってつけの世話係もいるしさ」
「ど、どうしてそこで僕を見るんですか」
「けど、そうじゃなくて、リーフは彼女を安全に、自由にしておきたい。自分が庇ってでも。それはなぜなのかってのが、お兄さん興味あるんだなあ」
お前の興味なんぞ知るか。
それに、別に安全、は図っちゃいるが、自由にさせとくのにはなんの含みもねぇよ。
「ふーん」
なんだよ。
「別にぃ。まあ、わたしは嬉しいからいいんだけどねー。ひらひらちゃん一人で随分和むし目の保養だし」
そーかよ。
「あ、大丈夫よ。わたしの好みにはちょーっと胸が足りないから、ちょっかいはださないよー」
だからそんなんじゃねぇっつうの。
「アアイさん、凹凸がある方が好きですもんねえ」
「セマは怖い人が好きなんだよねー」
「ななななんですかそれはっ」
ティニーは不自然なほど自然に、周りに馴染んだ。
見てくれが柔和な女顔のアアイや腐っても僧服のセマに懐くのはわかるとして、厳つい親爺ども、ランドックはともかくドナールとまで和やかに挨拶を交わす光景を見た日には正直驚いた。
ドナールも売り飛ばそうと本人目の前に話していたことなどすっかり忘れたのか、むさ苦しい砦から浮いた可憐な少女に、不自由があったらいつでもいいな、などいったらしい。いつも俺達にくっついてきて――それは身の安全のためにそうするよういい含めたからなのだが、独りになることなど滅多にないティニーが、いつの間にドナールと話したのかはわからないが。まあ、おっさん実は子供好きだしな。
クリューゲだけは無愛想面を崩さず、ほんのり彼女を無視していた。まあ奴にもいろいろ事情があって、わだかまりはそう簡単に消えないのだろう。ティニー自身に責任はないにしても、フリージの娘なのだ。
村娘の身なりに林檎の入った籠を抱え、ティニーがよたよた歩いていた。
いくら上物とはいえ一着の服を着っぱなしでは体に悪い、かといって女の着る服などなし。そうぼやいた翌日には「アアイさんにもらったんです」と笑うこのナリのティニーがいたわけだが。――全く、アアイの奴はわからない。
ティニーは俺に気付くと小走りになった。そして、よろける。
徒歩でさえよたよた歩きだったのだから、この展開は容易に読めた。
「わ、わ、わ、」
前傾でたたらを踏む彼女に駆け寄り、籠とティニーと、両方を受け止めてやる。とはいえ俺も、まだ非力な一六の若造なので。一緒に半歩ばかり後退してしまった。情けない。まあ、倒れ込まなかっただけでも僥倖か。
「たく、なにやってんだか」
呟くと、声に非難の色を見たのか彼女の眉尻が下がった。
「別に、お前を怒ったわけじゃない」
どちらかといえば、腹立たしいのは自分の脆弱さだ。
彼女の籠を取り、どこへ行くのかと尋ねる。「ガレスさんに、ダナエさんにあげてくるよう頼まれたので」と、ティニーは林檎を見下ろした。
成る程、とおざなりに答えて。一緒に馬屋に行くことにした。この調子で歩いていては絶対途中で転けるだろうし、ダナエの顔も見たい。
――不意に、視線を感じた。
敵意。ちりちりと刺すような、好意など欠片も含まれない視線。
「どうかしましたか?」
足を止め、俺を見上げ。ティニーはきょとんと首を傾げる。
「なにが」
「あの、ちょっと、雰囲気が変わったので」
しらを切ろうとする俺に、なんら察せずティニーは素直に返してくる。
一応気配を探るも、もう辺りには視線の主はいない。
俺はやれやれと頭を振り、彼女に向き直った。
「……あのな、ティニー。そういうことは、気付いてもなにもいうな」
「え?」
「みすみす相手方に教えてどうするよ」
「え? え?」
しかし、なんのことやら、全く理解していない様子。
彼女の今までの生活を考えればそれは無理のないことなのだが。
こういう迂闊さ、鈍感さは危険だ。いつか俺にも害をもたらすことは容易に想像できる。堪らない。
仕方なしに俺は、「こういった世界」での心得――つまり、不審を感じた場合気付かぬ振りをして相手を泳がせるのも一つの手である、などを延々彼女に講釈していった。馬屋へ向かう道すがら。
そして、ほんの些細な雰囲気の違いに気付く彼女の鋭敏さについては、深く考えることはなかった。
ティニーが林檎を投げ、首を伸ばしたダナエがそれを器用に口に捕らえる。真っ赤な林檎が、あっという間に大きな口の中に消えていった。
馬屋の裏手に申し訳程度に広がる草原の。砂色と草色のまだらの上をほてほてと歩きながら、ダナエは久方ぶりの陽光を気持ちよさそうに浴びていた。
ティニーが時折くすくす笑い、白い手を伸ばしてまた一つ林檎を投げる。
なんともうららかな光景。馬屋の裏に捨て置かれた樽に腰掛け、ぼんやりと俺は、それを眺めていた。
頭が弛む。
こんなのも悪くない、と思う気持ちと、不味い、と思う気持ち。それらがぐるぐると渦巻いて、不快だ。けど、捨て難い。
――いい厄介払いができて感謝したいくらいさ、なーんていってたらしいよお。
昨夜、ちょいちょいと手を振って俺を呼んだアアイが、珍しく静かにそういった。口調は相変わらずだが、落ち着いた声音で。
唐突でわけが分からず、なんの話だ、と眉を顰めると。
フリージ王家周りの話。と緩い笑みを見せる。
「お嬢が誘拐された感想を、率直に伺ってみました、という感じかなー」
どこからの情報だよ、とつっこむと。
「密偵。詳細は、ヒ・ミ・ツ」
人差し指を振りながら。
内容よりもいい様と仕草に頭痛を感じ、どこの姐さんの談話なんだか、とそれだけを漏らす。そんな俺に返ってきた答えは、流石に衝撃だった。
「女王陛下」
フリージの女王陛下は随分いなせなでいらっしゃる。フリージ一家の女親分、の方が正解じゃないのか。
アアイの交友関係は結構謎で、アアイ自身にも秘密が多い。面白さに重きを置く質だが、実は聡明だ。だからおそらく、この話も真実に近いのだろう。胡散臭いこと甚だしいが、そう思うに足る信頼を、俺はこいつに置いている。
厄介もの。
つまりそれが、あの虚なのだろうか。
王の姪だといったか。少し、探ってみるのもいいかも知れない。
思考を止め顔を上げると、竜と少女が並んで虚空を見上げていた。
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