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「BANDITS#1 仙人掌の花」


−8−
 
「自分の命を換金するなら、いくらになる?」
 細い腕に似合わぬ大剣を軽々、男の喉元に突きつけてアアイがいった。
「遊ぶな」
 槍で斧を捌きながら、こちらは相性が悪いのだろう苦戦しているクリューゲが、それでも律儀にツッコミを入れる。
 黒衣の男が書を手に呪文を織り上げようとしている。それを橋目に、俺は目の前の剣戟を避け、勢い余って前にのめる男のわき腹を割いた。勢いを殺さず手を返し更に突き刺す。肩胛骨の下辺り、上手くすれば心臓直撃。
 同時に、黒衣の詠唱が終わり、
「――フェンリル」
 陰気な声に喚ばれた昏い力がアアイを襲う。
「うわっとお」
 なんとも緊張感削がれる声をあげ、アアイは後ろに飛んだ。直撃は避けた様子。
「うあー魔法は勘弁してよねえ」
 僅かに衝撃を食らったのだろう、顔を顰める。
 そこへ、喉元を解放され自由になった男が剣を振り上げ襲いかかるが。
「遅いよ」
 あの一連でさえ体勢が全く崩れない化け物なので、難なく男の剣を受け流す。そのまま振り上げた剣を、袈裟懸けに下ろした。嫌な声をあげ、男が倒れる。
 その時、黒衣の男が再び書を開くのが目に入った。
 俺からは少し距離がある。さりとて近くに他の味方も見当たらず。
 俺は、黒衣の男に剣の切っ先を向けた。――灼けろ。力が解放される。光の束が、黒衣に襲いかかる。
 間合いの外にいて油断していたのだろう。黒衣は、光をまともにくらい片膝をついた。
「殺しちゃったかな」
 剣から滴る血液を振り払いながら、アアイはぼやいている。
 同時に、どさ、と鈍い音がして。斧を手放して仰向けに倒れた男の胸を踏んでクリューゲが、男の眼前に槍先を置いた。
 それが、最後。
 
 ダーナからイザークへ向かう街道――というのはおこがましい、砂漠の中に申し訳程度に示された細い道がある。そこから逸れた森、というにはこれまたささやかで慎ましい木々の中で、俺達はこの得物どもを待ち伏せ、たった今叩き伏せたところだった。斥候より街道を外れたとの情報がもたらされたときには追跡の面倒さを思い溜め息が出たものだが、からりとした荒野より森の中の方がいろいろ有利だ。つまり、追い剥ぎには。
「暗黒司祭か」
 生き残った数人を無力化しながら、クリューゲがいった。
「ああ、そうだねえ」
 それを手伝おうという素振りも見せず、ただ黒衣を一瞥。飽いたように視線を戻し、大剣を支えにして背を伸ばすアアイ。
「お前達、こんなことをしてただで済むと思っているのか」
「ただで済まないよお。君の有り金全部もらって、収支はわたしらの大幅黒字」
 うふふー、と笑いながら、類型的な台詞を思い切り曲解し。アアイは黒衣の前にしゃがみ込む。
 俺は一つに集められた手荷の中身を、一つ一つあらためた。他愛のない生活用品の中、ころりと、光り物が二つ。
 赤い石。石榴石か、紅玉か。
 他に、めぼしいものはない。しけてやがる。
「リュー、荷物は外れだ。身に付けてるんじゃねぇか」
 そうか、と。最後の男を縛り終えたクリューゲが、無言でアアイに目を向ける。
 そんじゃきりきり、出してもらおうか。懐から出した短剣で己の指をつついて遊んでいたアアイは、クリューゲの言葉に応呼し、黒衣の首に無造作に赤い線を引いた。
 ――つぷり、と。短剣が、喉の肉に沈む。
 暗黒司祭は殺せ。親父の意向だ。

 無闇な殺しはしない。そんな不文律を俺達に課する親父だが、こと相手が暗黒教団の場合はこの限りではなかった。寧ろ。積極的に。
 殺せ、と。
 ドナールも、そして砦の殆どの者は暗黒教団を嫌っている。それはわけの判らないもの、そして狂気に対する嫌悪だ。
 けれど、親父のそれは。嫌悪という言葉では済まない程昏い。憎悪、明確な殺意。
 親父と暗黒教団の間でなにがあったのか、或いはなにをされたのか。それを、俺は知らない。
 気にならないといえば嘘になるが、深く詮索したことはないしこれからもしないだろう。生かしてはおけない、吐き捨てるようなその言葉を聞いたときに、余計な詮索をすべきではないと判断したのだ。所詮、俺の感情はただの好奇心。人には下世話な興味で踏み込んではいけない領域がある。

 黒衣の末路に怖じ気づいたのだろう。はした金で命まで落とすのは割に合わないと、生き残った男二名が全面降伏の意を見せた。雇われものなら、こんなもの。楽しそうに止めを刺すアアイには正直げんなりするところがあるが、脅す手間が省けるのはいい。
 親父の言葉を用いるまでもなく、余計な殺しなどしないにこしたことはないのだ。
 
 
 
−9−
 
 砦に戻った俺達がまずしたことは、食堂で収穫を広げることだった。
 薄汚れた革袋が五つばかり、食堂の無駄に大きいテーブルに鎮座ましましている。中身は金貨で、まあそれなりの量が入っているのだが。
「ふん、情報の割に、しけてるな」
 硬貨のつまった袋を前にドナールが仏頂面なのは、前情報がヤケに景気よかったからだ。
 ドズル王への献上品をぎっしり積んだ商隊。さぞや金品の山だろうと期待すれば、その実は暗黒司祭の小さなパーティでささやかな路銀だ。随分落差がある。
「本当に暗黒司祭だったのか」
 にやついて、ティウツがいった。「上がりをピンハネしてるんじゃあるまいな」
「んなセコい真似するかよ。お前じゃあるまいし」
 軽くいなしてやると、ティウツは面白くなさげに鼻を鳴らした。かわいげのないガキだぜ、などと聞こえよがしにほざいている。
 バカはほっといて、我らが首領に向き直った。
「ガセを掴まされたんじゃないのか。情報屋の方を洗えよ」
「手前にいわれるまでもねえよ」
 忌々しげに、ドナールは舌打ちする。
 確か今回の情報元は、ドナール懇意の情報屋。顔を潰された形になる首領殿は相当面白くないようで、不機嫌さを隠そうともしない。
 革袋の中身をちゃりちゃりと数えていた男が、その手を止め顔を上げた。
「金貨が五千枚だ」
「五千――」しばし考え込んで、親父。「旅の司祭が持つには大金だな」
 憮然として、首を捻る。
「あん? ガレス、どういうことだ」
 
――大方人買いの代金だろう。
 拾い上げた革袋のずしりとした重さをして、そう吐き捨てたクリューゲ。
 悪名高き、ロプト教団の子供狩り。
 クリューゲは騎士時代の話を全くしないが、お喋りな事情通によると騎士を辞める羽目になった切欠は暗黒教団がらみのいざこざだったらしい。詳しい事情は判らないが円満退団とはいい難い状況で、その辺りの感情は未だ整理し切れていないのだろう。フリージや暗黒教団が絡むと、仏頂面に磨きがかかる。
 おかげで砦に戻る道中は、空気がやたら重かった。普段から無口な奴だが、硬い表情で黙り決め込まれると妙に存在感があって困る。

 親父は、一介の坊主が持つには大きすぎる額面に、なにかワケアリの金かも知れないから注意を怠るなと、そんなことをドナールに話している。
 ひょっとして、嵌められたのかも知れない。誰に、なんのためかはわからないが。深読みしてそんなところにまで気を回す親父は、相変わらず慎重で心配性だ。
 そうしてそれを生返事で聞くドナールの、その顔には。煩いと奴だと、そんな不満がありありと書いてあった。
 
 
 
 食堂を出て暫く、唐突に思い出す。
 あの赤い石。懐に入れたまま、すっかりその存在を忘れていた。
 懐に手を入れる。こつんと当たる感触。
 後から見つけられネコババしたのとぐだぐだ因縁付けられるのは阿呆らしい。ドナールはそんなケチくさい奴ではないが、こっちを目の敵にするバカがいる以上僅かばかりも隙を見せるのは得策ではない。
 痛くない腹探られて諍い即流血沙汰ってのもあり得ない話ではないのだ。ことあるごとに仕掛けられる揶揄や挑発、敵意には、いい加減うんざりしている。キレる日は近い。俺が。
 面倒だが、仕方ない。
「どうした、リーフ」
 立ち止まった俺に、親父は怪訝そうな顔で振り返る。
「ちょっと忘れモンだ。先行っててくれ」
 そうか、と頷く親父に肩を竦めて見せ、俺は踵を返してドナールの私室に向かった。
 
 
 
「ドナールさんは、いつまであの小僧をのさばらせておくつもりなんです」
 ドナールの部屋の前にたった俺の耳に入ってきたのは、なんというか核心だった。
 言葉こそ丁寧ながら――ドナールにタメ口をたたく者は俺と親父とアアイくらいのものなのだ――恫喝めいた声音と口調。俺には既に耳障りの域にまで達しているティウツの声は木製の薄い扉越しにややくぐもって、しかし意味ははっきりと取れる状態で聞こえてくる。
「なんのことだ」
「リーフですよ。あの態度にあの口のききよう。あんなふざけた態度取られて、よく許してますね」
「そんな目くじら立てるようなモンじゃねえだろ。リーフが生意気なんてこたぁ昔からだ。今更お前にいわれるまでもねぇよ」
 生意気で悪かったな。
「それだ。そうやって甘いこといってるから……」
 思わせぶりにいい淀み、
「知ってますか、ドナールさん。下のヤツらぁ、リーフがあんたの跡目だっていってますよ」
 予想し得ない単語に、俺は面食らう。跡目? ――は。なんだそりゃ。
「跡目だぁ? そりゃ随分、気の早ぇはなしだな」
 そうとも。ドナールは年を取ったといっても六〇には手は届いていないし、まだまだ元気な親爺だ。跡目を考えるなんざ、早すぎる。
 大体。そもそも跡目云々が問題になる程の「組織」じゃないだろう。俺達ははぐれ者が好き勝手に寄せ集まった、それだけのものなのだ。笑わせる。
「はあ、わかってませんね、ドナールさん」
 呆れたように、それは随分芝居かかった呆れ具合なのだが、ティウツは続ける。扉越しで見えないのが残念だが、おそらく大仰に肩を竦めていることだろう。
「リーフの野郎が跡目といわれてるってことは、アンタよりガレスが重く見られてるってことですよ。なにしろリーフは、ガレスの息子なんですからね。アンタはなめられてるってこってす」
 随分な飛躍だ。
「あの舐めくさった態度見てりゃ誰でもそう思いますよ。いずれあんたを追い出して、ここを乗っ取っちまおうって腹に違いないんだ」
 ――!
 カッと、頭に血が上った。流石に、これは、黙っているわけにはいかない。
 俺は、衝動的に扉に手をかける。
 部屋に乗り込み、ティウツと話をつける、必要なら、殺す。瞬時にそこまで検討し決断した。
 しかし。
 
「――ティウツ、黙れよ」
 
 冷えたドナールの声に、俺の行動は止まった。
「な、ドナールさん」
 いきなりの態度の豹変に、ティウツが狼狽え慌てた声をあげる。
 それを遮るように、確固たる口調で、ドナールはいった。
「世迷い言ぬかしてんじゃねえよ。新参の手前は知らねえだろうがな、俺とガレスの付き合いの長さは伊達じゃねえんだ。あいつが俺を裏切る真似をするなんて天地がひっくり返ったってあり得ねえって。それは俺が一番よく知ってる。
 それにな、リーフは俺にとっても息子みてぇなモンだ。砦の連中が俺の後釜をリーフだと思ったって別に不思議はねぇんだよ。もっとも、俺はまだまだ引退なんざしねぇがな」
 
 ――沁みた。
 
 俺は静かに、その場を離れ。
 鼻歌を歌いながら、再び扉の前に戻った。
 ごん、と扉をひと蹴りし、
「ドナール。いいか?」
 そういって、返事が来る前に扉を開けた。それが、いつのも流儀なのだ。
 ティウツが、俺に剣呑な目つきを向ける。
「なんだティウツ、まだいたのか」
「いちゃ悪いかよ」
「別に。ティウツさんがいつなにをしてらっしゃろうと俺の知ったこっちゃねぇですよ。お取り込み中でしたか、それは申し訳ございません」
 慇懃無礼に一礼。ティウツは忌々しげに鼻を鳴らす。
「おうお前ら、そんくらいでやめとけ。ティウツの用はもう済んだ。で、リーフはなんの用だ」
 もう済んだ、のくだりで、ティウツは俺に背を向ける。「それじゃドナールさん、俺はこれで」、取って付けたようにそういって、退室。
 ぱたん、と扉が閉まる。
 それを見届け、わざとらしく肩を竦めて見せた。
「ったく、」
 ドナールが呆れたようにそう漏らす。
 壁際に置かれた椅子を引っ張り、ドナールの前に腰掛けた。懐に手を入れ、赤い石二つを取り出す。手の平のそれは、部屋の灯りを反射してきらりと光った。
「なんだそりゃ」
 怪訝そうにドナールはそれを取り上げた。ためつすがめつし、しばし瞠目、それから俺の手にそれを戻す。
「石榴石だな。その大きさではたいした価値はねえ。それが?」
「ああ。さっきのヤツの、収穫の一部だ。宝石なら結構な価値があるかと思って確保しといて、懐にしまったまま忘れてた」
「そうか。ふん、残念ながら換金するほどのモンじゃねえな。お前の目もまだまだだな」
「ほっとけ」
 この年で鑑定眼に優れてる方が怖えよ。
「まあいい、それはお前がもらっとけ」
「俺が? 俺がこんなモンもらってどうすんだよ」
 宝石で飾り立てる趣味などなく、さりとて価値がないのではただの保険として所持しておくのも阿呆らしい。
 そんな俺を見て、ドナールは呆れたような、そうして面白がるような表情を浮かべた。生意気いってもまだまだガキだな、そういって笑う。
「お前、宝石の使い道は女にやるに決まってるだろ」
 ――まあ、表情からそんなことだろうとは読めたけどな。
 ああ全く、下世話なオヤジだ。実のところこういったからかい耐性は低い――ぶっちゃけ場数なんぞ踏んでないし慣れてもいない俺は、うるせえ、要らねえことに気ぃ回してんじゃねえよ、仏頂面でそう返す。
 しかし、ドナールは聞いちゃいない。いっそうにやにや笑いを深め、俺の肩などをぽんぽん叩き。
 丁度二個だし、耳飾りに加工してやるといい。なんなら腕のいい職人紹介するぜ。
 そんなアドバイスまでくれる。
「知るか!」
 結局それだけいい捨てて、ドナールの私室を後にする俺だった。
 ああもう、なにしに行ったんだか。
 
 
 
−10−
 
 ところでティウツがどうしてあそこまで俺を――というより親父を目の敵にするのか、正直その理由は見当つかない。いや、想像はつくのだ。けれど、確信が持てない。
 この砦に集う者の中の次席である、そんなチンケな地位に成り代わりたい。そういった単純な出世欲だとしたら、それはあまりに矮小で笑えもしない。
 或いは、俺や、親父や、アアイなんかがなにかしただろうかと。心当たりを思案したことはある。思い当たりそうな節が多すぎて――しかも極くだらない――すぐに止めた。悪意のあるなしに関わらず、洒落になるならないに関わらず、諍いなど日常茶飯事なのだ。そして、悪ふざけにねちねち目くじら立てしつこく恨みに思うようなら、そんな狭量で極小な神経なら盗賊家業なんぞ辞めた方がいい。頭に来たらその場で殴る。それが出来ないなら忘れる。或いは気の利いた悪ふざけで返す。それが礼儀であり流儀ってもんだ。
 ティウツは結局、俺が想像する以上にケチなヤツなのかも知れないし、理由は些細なことひとつきりであったり全ての積み重ねかも知れない。
 考えても答えなど出るわけもなく。
 ああ、なんだか酷く、馬鹿馬鹿しくなってきたな。
 
 いい加減夜も遅い。
 思考を振り払う。

 途中食堂の前を通ると、アアイ達がたむろしているのが見えた。
 セマが、アアイとクリューゲに両脇を固められ、引きつった顔でグラスを、表面張力に耐える琥珀色の液体をじっと見つめている。
「一気に行くと死ぬぞ」
 あまりの悲壮感にそう忠告してやると、ぎょっとしたように振り返った。手元の強ばりに支えられグラスの中身が全くこぼれないのは、幸いなのか不幸なのか。
「まあがんばれ」
 無責任にそれだけいい残し、今日は退散することにした。バカ騒ぎする気分ではないので。
「はいはいはいなんちゃって救いの手退場ー!」
 出来上がってようが素面だろうがテンションの変わらないアアイの意味不明の言葉と馬鹿笑いが、俺の背に聞こえた。 
 
 
 
 自室に戻る。
 ベッドに腰掛けて、ティニーが本を読んでいた。
 それが、俺に気づき顔を上げる。
 おかえりなさい、と。そういって、ぱたん、と本を閉じた。
 俺はなんとなく気が抜けて。ああ、と間の抜けた言葉を返す。
 しかし本など一体どこから持ってきたのだろう。大方、セマに借りたのだろうが、赤褐色の皮の表紙になんとなく見覚えがある。
 タイトルに何気なく目を向ける。
 「イード哀歌」、と読めた。

 ……昔。といっても、ほんの一五、六年前。マンスター地方のどっかの王子が、妻と共にイードの砂漠を渡り、そして敵国の不意打ちをくらって散った。
 偽装もなにもなく馬で行軍し、からり開けた荒野で待ち伏せに会う、なんて間の抜けた話だろう。
 けれど、砂漠を渡ろうとした理由が親友を助けるためだったということ、そして最期まで共にあったという妻との夫婦愛は大いにうけ、吟遊詩人どもがこぞって取り上げた。グランベルの一公爵家であったというフリージの、現在支配下にあるマンスター人には抵抗の象徴として受け止められた。

 それを、脚色を加え物語風に書き下し製本した物、そのタイトルが「イード哀歌」だ。
 ちなみになぜそんなことを俺が知っているのかというと、前述を懇切丁寧に解説された後に、読めと命令形で親父から手渡されたことがあったからである。
 つまりあれは親父の本で、経緯は全く読めないがティニーに貸したのもおそらく親父なのだろう。
 ――いつの間にか、ティニーは自分の居場所を砦内に確立している。
 俺が留守にしている間、面倒は頼まなくてもセマが見るだろうし、わりあいぼんやりしているので一人でも大丈夫だろうと。そう思って、特に心配はしていなかったのだが。
 俺の想像以上に、平気だったようだ。
 感心した。
 俺は、ティニーをそのうち――砦の者達がティニーの件を気にも留めなくなった頃にでも、アルスター辺りで放逐しようと思っている。そしてそれは、興味の対象が忙しなく移っていく環境にあってはそう遠い日ではない。
 遠い日ではないのだが、しかし張り詰めて日々を過ごすのは少女には酷だろうと。そんな不安があった。
 杞憂か。彼女は前向きに事態を受け入れている。ぼんやりと儚い雰囲気はそのままに、静かに笑い、皆に馴染んでいる。
 それを善し悪しで計るなら、おそらくは悪いのだろう。けれど。
 
 俺は長椅子に腰掛け、丸まった掛布を引き延ばした。
「俺はもう寝る。お前も、適当なとこで切り上げて寝ろよ」
 そういって、横になる。
 いい加減疲れていたし――アアイとクリューゲも疲れているはずなのだが、あいつらは頑丈だよな――単純に、眠いのだ。
 ところが。ティニーはきょとんと首を傾げ。
 そして、とんでもないことをいった。
「リーフさん、あの、寝台でお休みになって下さい」
「――は?」
 眠気で淀んだ頭が一気に覚醒する。彼女の言葉が頭の中で繰り返し流れた。寝台でお休みになって下さい。寝台で。今彼女が腰掛けている、上等とはいえない、けど清潔なシーツの敷かれた、長椅子よりはましな寝心地の。
 ゆっくり身を起こす。胸元まで引いていた掛布が、腰の辺りに落ちた。
「あー、えーと、なんだ、その、な」
 俺の口からこぼれる言葉は全く意味を為さない。ティニーは「はい?」と不思議そうに、ほんとうに不思議そうに首の傾斜を深める。
 彼女は、自分がいったことがどういう意味に取られかねないか、わかっているのだろうか。――いや、わかっていないはずはない。深窓の令嬢といえど、一五は嫁いでも不思議はない年だ。心構えの一つや二つ、教育されていない方がおかしい。
 親父、いや、ドナールになにかいわれたのだろうか。例えば。砦に於いて命綱であるリーフを末永く繋ぎ止めるためには肉体関係の一つも持っておかなければならない、などと。いかにもあのオッサンがいいそうなことで、その様子が容易に想像できてうんざりする。
 俺も、健全な、青少年なので、けど、この据え膳は。
「あの、お疲れですよね。戻られたばかりで。わたしが長椅子の方で眠りますから、どうかリーフさんは、寝台でお休みに――」
 ――ああクソ、こういうオチかよ。
 
 自分よりか弱い少女の寝台を譲るという提案におめおめ従えるわけもなく。
 いい、気にするな、別に疲れているわけじゃない。俺はそういって、長椅子の上の枕を改めて整える。
 しかしティニーは、食い下がった。いつになく強情に。
「いいえ、わたしこそ、長椅子で平気です。これはリーフさんの寝台なのだから、リーフさんがこっちで眠って下さい」
「いやだからな、」
 なんといったものやら。
「リーフさん、わたしがここに来てからずっと長椅子でお休みになってます。そんなんじゃ、体を壊してしまいます」
 そんなんで体を壊すほどヤワではない。これで、食堂の床で寝たこともあるなど告げたら、彼女はどんな顔をするのだろう。
 それにしても、困った。彼女は引き下がりそうにないが、女を長椅子に追い出し寝台に温まるなど俺の矜持が許さない。
 仕方ない。
 掛布を除け、俺は長椅子から立ち上がった。
「わかった、ちゃんと寝台に寝る」
 彼女はホッとしたように笑い、腰を浮かせる。それを、俺は制した。
「いや、お前はそこで寝ていろ。アアイ達の部屋が空いているから、俺はそっちで寝るよ。それでいいだろ」
 あいつらは一晩中飲んでるだろうし、戻ってきたとしても床に寝せてやればいい。我ながら素晴らしい代案。
 ところが。
 部屋を出かけた俺の腕に、彼女はしがみついてきた。
 ――って、ええ。
 混乱しつつ、ティニーに目を向ける。
 彼女は縋るような、そして怯えた目で、俺を見上げた。

 それで、わかった。
 脳天気に馴染みきっていたと。俺が留守中も、こともなく過ごしていたと思っていたが。
 その実彼女は、怖かったのだ。独りで。いることが。
 
 
 

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