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「にんじん娘」 あるいはお茶をどうぞ #1.5


 ペンの調子がどうにも宜しくなかった。
 紙の繊維につっかかる。ペン先が弾かれ、たった今書き終えたセンテンスの周囲にインクを撒き散らした。
 そうして、清書半ばの文書を三枚ほど台無しにするに及び。
 アレクは忌々しげに舌打ちし、インク壷にペンを突っ込んだ。
 急ぎの文書ではないが、ことがスムーズに運ばないのは歓迎できるものではない。
 新しいペン先に取り替えよう。立ち上がったアレクはしかし、はた、と思い出した。ストックを切らしていたことを。手配しなくてはな、そういったのはアレク自身であったというのに。
 ひとまずの間に合わせを買って来てもらうしかないか。ふう、とため息をつき、小間使いを呼びに行く。
 途中で気が変わった。
 気分転換を兼ねて、自分で買ってこよう。

 書庫の方で書類整理に追われる同僚、アーダンとノイッシュに、出かける旨を一応告げる。
 サボる気だな、と笑うアーダンを少し小突き、ついでになにか必要なものがあれば買ってくるが、と尋ねる。
 市の方まで足を伸ばすなら茶葉を見繕ってきて欲しい、と、小考ののちノイッシュがいった。
 珍しいな、と訝しがると、更に言葉を続ける。
 シグルド様が、よく眠れないと仰っていた、お茶には安眠効果のあるものもあるんだろう?
 あいかわらず大した忠臣だ。密かに感心し、快諾する。期待に添える種類の香草茶があったはずだ。市で尋ねればすぐにわかるだろう。



 シレジア王国王都西、第四の都市セイレーン。王家の離宮であるセイレーン城を囲んだ城下町。
 その市場の雑踏にアレクが立っているのは、そんな理由からだった。
 祖国を追われた主君に従い、ここに落ち着いて一月ほど。思えば遠くに来たもんだ、など即興で口ずさんでみる。
 アレクは、そして未だ書庫で格闘しているであろうアーダンもノイッシュも、身分は騎士だ。しかし、単純に人手不足という理由から文官の真似事などもしている。
 デスクワークは嫌いじゃない。
 好きでもない。
 慣れないだけなのかもしれないが、たまに気持ちがくすむ。
 それでこうやって、口実を設けて町に出ることがある。もちろん、同僚達もそうだろう。

――サボる気だな、って言葉が出るってことは、アーダンはこの気晴らしをサボりと自認してるんだな。

 意外に茶目っ気ある無骨で実直そうな同僚に、思いだし笑いをした。



 目的のものを抱え終えた後、アレクは市を物色していた。
 ペン先の替えと、ついでに吸い取り紙、そして香草茶。安眠効果のあるものと鎮静効果のあるものと、その他が適当にブレンドされたもの。内訳は聞いてもよく判らないので、名前だけざっとメモ書きしてくる。後で詳しい者に見てもらおう。
 市の人出はそう多くない。平日の午後という辺鄙な時間だ。無理もない。
 人いきれをかき分ける労力なく、アレクは品々を見て歩いた。
 天気は上々、日差しはやわらかに人々に届く。穏やかで、きな臭さの微塵もない情景。
 気晴らしは、これくらい呑気な方がいい。
 そんなことを思いながら、野菜の並ぶ一角へ来た。

 飛び込んできたのは、目に鮮やかな橙色。
 葉の落とされた根野菜、人参。

 なんとなく手に取った。
 ひやりとした感触と、独特の香り。

 子供の頃、妹が人参が嫌いで、食事に出るごとに大騒ぎだった。栄養があるんですよ、そういって怒るねえやに、膨れ面で抗議してたっけ。それでねえやは、作ってくれたんだよな。子供が食べやすいように、

「アレク?」

 自分を呼ぶ声に、我に返った。
 聞き知った、アルト声。振り返ると、想像通りの人物がいた。
 身分からすれば質素どころか粗暴な服装の、黄金の豊かな髪を無造作に流した女。ユングヴィ公女ブリギッド。

 どうしてこんなところに、という台詞は同時に出た。
 一瞬顔を見合わせ、ひとしきり笑う。
「弦がくたびれてきたからね」
 そういって、肩に引っ掛けた弓を示す。ユングヴィの至宝、ではなく、普段使いの銀の弓。
「鍛冶屋の親父がさ、いい加減張替えろっていうんだ。でもいま弦のストックがないから、時間がかかるって。それでまあ後日出直すことになったんだけど、その分時間が空いちゃってね」
 それでなんとなくぶらぶら歩いているうちに市まで来て、そうしたら見覚えある人物が居たと。そういうことだ。
「それで、アレクは?」
 アレクは、ここに至った経緯を簡単に説明した。
「なーんだ」
 ブリギッドが残念そうな声を漏らす。
「焼き菓子の材料を見に来たのかと思ったのに」
 子供っぽい物言いに、アレクは思わず微苦笑を漏らした。

 このいろいろ興味深い公女さまに、アレクが焼き菓子を振舞うようになったのは、つい最近のことだ。それをして「餌付けかあ」といったのは、育ちの割にぞんざいな言葉遣いをするフリージ公女だったか。

 彼女の様子がおかしくて、アレクはつい、こういっていた。
「材料を見に来たわけではないですが、面白い材料を見つけましたよ」
「面白い材料?」
 言葉に促されるように。
 ブリギッドは、アレクが手にした橙色の根野菜に初めて目を向けた。目の前に並ぶカゴ一杯の橙色に目線を写し、ふたたびアレクの手に戻る。

 その表情は。
 面白いほど曇っていた。
 てきめんに、顰められていた。

 おや、とアレクは首を傾げる。きらーい、絶対食べなーい、食べるくらいなら死んでやるう、そういってねえやを困らせた妹。それと同じ顔をしている。

「…………ひょっとして、人参はお嫌いですか?」

 尋ねる声音は呆れた色が濃いが、それに気付くことなくこくこくとブリギッドは頷いた。

「あの甘いんだか苦いんだか中途半端なところや薬みたいな香りがイヤなんだ」

 真剣な面もちで訴える神器の継承者。
 子供みたいだな。アレクは内心思う。可愛い人だよな。そんな、不遜ともいえる感想も浮かぶ。まあ内心なら、不敬罪にはならないだろう。

 それよりも。
 ちょっとした、悪戯心が沸いた。

「そうなんですか? ……残念です」

 心の底からがっかりした、様な、声を出した。
「残念?」
 ええ。神妙そうに、頷いてみせる。
「お察しの通り、人参のケーキを拵えようと思っていたので」
「人参のケーキ?」
「はい。小さい頃によく、家の者が拵えてくれたのを懐かしく思い出しまして。子供は人参や菠薐草など色の濃い野菜を苦手にするでしょう」
「うん」
「それをね、食べやすいようにと、お菓子にしてくれたんです」

 本当の話だ。お菓子になれば食べるだろう、そう考えたねえやが作ってくれた橙色のケーキ。

「食べやすかったの?」
「そうですね。子供の舌で、お変わりを要求した覚えがありますから」
「人参で?」
「この人参は甘そうですし、スポンジ生地にすり下ろして混ぜたらたいそう美味く焼けるだろうと思ったんですが……」
 視線を落とし、
「美味しくできたら公女にもお味見をして頂こうと思っていたのですが……そうですね、そんなに苦手なら、無理強いは出来ないですね。本当に、残念です」

「ま、待って」

 慌てたように、ブリギッドはいった。
 笑い出しそうになるのを必死でこらえ、アレクは、なんですか、と答える。
「アレク、本当に、美味しいの?」
「俺の味覚では、美味しいといえるものでしたよ」
 ブリギッドの目線が、人参の山と、アレクの表情の間を泳いだ。むう、と腕を組み、なにやら真剣に考えている。

――本当にこの方は面白いよな。

 自制心を働かせポーカーフェイスを保とうとするが、それでも表情がやや綻ぶのを自覚するアレクである。



 やがて。
 考えがまとまったのか。ブリギッドは再び口を開いた。

「その、ね。生じゃ苦手なものでも、火を通したりなにかと混ぜたりすると食べられるってこと、よくあるだろ?」

 なにかを確認するようなブリギッドに、アレクは頷く。
「そうですね。生の玉葱などは苦いですが、火を通すと甘くなりますね」
「そうそうそう」
 ブリギッドは意気込む。
「だから。ね」

 そこが、限界だった。

 こらえきれず、アレクは吹き出した。
 一瞬呆気にとられ、それからブリギッドは憮然とする。
「なんだい、なにがおかしいのさ」
 膨れ面で、抗議めいた言葉を発する。

――ああ本当に、この方は、可愛らしい。

 すいません、と謝罪の言葉を述べ、息を整え。

「そんな心配なさらなくても。公女に召し上がって頂くのが俺にとって望外の喜びなんですから。公女に差し上げない訳ないんですよ。
 ――淡い橙色の、可愛らしいスポンジケーキなんです。きっと、気に入って頂けると思いますよ」

「そうかい? じゃあ、楽しみにしてるよ!」

 語尾に音符の付いてそうな調子の、予想通りの答えに。
 アレクは身を折って笑い出し、再びふくれ面に戻ったブリギッドはその頭に軽い拳固をくれたのだった。
 

えんど。

20010723

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