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「白詰草咲く頃」 (前)
グラン歴七五八年。
シグルド公子配下の騎士に護られたあたしことフリージ公女ティルテュと、オーガヒルの海賊元首領ブリギッドは、オーガヒルの海賊とグランベル軍の戦闘に出くわした。
訓練された正規の軍隊と烏合の衆の海賊では、戦力に大きな隔たりがある。それが正面切って戦い合うというのは、はっきりいって海賊側の自殺行為。
明らかにグランベル軍優勢で、戦闘は終結しつつあった。
無様だな。
ぽつり、そういうと、ブリギッドは馬からひらり飛び降り矢をつがえ。
放つ。
矢は、顔面がひときわ不自由な感じの、それでも装備品は立派なものを持っている、明らかに首領格の男に突き刺さった。
ブリギッドが倒したのは、首領の弟に当たる男だった。
そして、それを目の当たりにした海賊達はあっさり降伏した。ううん、ブリギッドにひれ伏した、という方が正しい。
やっぱりオレ達の頭はブリギッドの姐御だ、なんて、調子がいい。
軍を率いていたキュアン王子は、無抵抗の者にかける槍はない、なんていって海賊達の降伏を認めた。
ブリギッドはそんなキュアン王子を話の分かる人間だと判断したらしい。
罰なら後でいくらでも受ける、身内の恥を己の手で注ぎたい、砦を落とす部隊にあたしを入れてくれないか、と頼み込んでいた。
傍らでアレクが苦笑いして肩を竦めていたのが、なんだか印象深い。
いいの、とアレクをつつくと、とりあえずエーディン公女にお会いになるまでは俺が護衛しますから、と返された。
エーディン? そりゃ、ブリギッドはエーディンと瓜二つの容貌だけど。そっくりさんご対面で驚かせようってのかな。――ユングヴィの事情を全く知らなかったから、そんなのんきな感想を持って。
いい加減疲れちゃったし、早く神父様とお話ししたいな、と思っていたあたしは、先にアグスティに戻ることにした。
アグスティまで送ってくれたノイッシュに、お疲れさま、ありがとね、と告げると、ノイッシュは、いえ当然のことですから、と真面目くさって答えた。
ノイッシュはこの後、シグルド公子に報告に行くらしい。
あたしはアグスティ城内の勝手は全く知らないので、ノイッシュにくっついて行くことにした。
シグルド公子に会いに行くなら、きっと神父様も一緒にいるはず。
いなかったとしても、居場所くらい知ってるでしょ。
そんなあたしの考えは大当たりで、執務室から微かに聞こえる、落ち着いた心地よいお声は神父様のものだった。もう一人の声は多分シグルド公子だろう。
ノイッシュが扉をノックしようとするのを押さえて、しい、と人差し指を立て。
困ったような表情を見せられたけど、構わず扉に耳を付ける。
おっとりした神父様がなにをあんなにお急ぎになられたのか、ちょっと気になっていたの。それに、好奇心は乙女の嗜みじゃない。
「……で、塔では…か…」
重厚そうな扉は意外に安普請で、意味を聞き取れる程度に声が耳に入ってくきた。
意識を集中して耳を澄ますと――
「ブラギの祈り……成功し……た」
神父様の声が、どこか悲しげな口調で、聞こえた。
「現在のこの状況……レプトール卿とランゴバルド卿が共謀し……レプトール卿の……ランゴバルド卿が……王子を謀殺し、そして……バイロン卿に……」
……え?
「イザーク侵攻の口実……を恐れ、マナナン王を手に掛け……」
「そんな……なんて…卑劣な…」
……共謀? 謀殺?
お父さまと、ランゴバルドおじさまが?
………………うそ。
「ティルテュ公女?」
ふと。かけられた声にのろのろと顔を上げると、心配気な、ノイッシュ。
「どうかしたのですか? 顔色がよくないようですが……」
「あ……あ、ううん!」
我に返る。
「なんでもない。
でも、あたしなんだか疲れちゃったから、ちょっと休んでくる。じゃあね!」
めいいっぱい明るい声で。
じゃあね、と一緒にきびすを返し、あたしは走った。――あの扉から。一刻も早く、一寸でも遠くへ。離れなくちゃ。神父様と、シグルド公子から。
あたしはここにいちゃいけない。
と。
強く、腕を捕まれた。
足をとめ、ノイッシュを睨み上げる。
「痛いわ、放して」
「すいません。しかし、その……」
ノイッシュはいい淀む。困ったような、心配そうな表情で。
「なに」
「いえ……、公女は、部屋の場所をお分かりではないでしょう。案内しますので」
「あ」
それはたしかにその通り。
あたしは仏頂面で、しぶしぶ頷く。ここで強情張って、城内で迷って無期限に一人ってのはゴメンだし。
「でも、報告があるんでしょ」
一応いってみると、
「調子の優れない御婦人を一人でほおっておく訳にはいきません」
きっぱりと。騎士の鏡なお答えが返ってきた。
ああそうか、顔色が悪かったあたしを気遣ってくれてるんだ。そうと思うと、なんだかちょっと嬉しくなった。あたしも単純だ。
きちんとした部屋は後で用意させますので、ひとまず。
そういって案内された部屋は、一通りの家具は揃っていたものの使用された形跡がない客室だった。
一礼して、ノイッシュは退場。
掃除は行き届いてるらしい、整えられた寝具にばふっと寝転ぶ。
行儀の悪いこと、そういって眉を顰める義姉さんの顔が浮かぶようだ。聞こえよがしに嫌味をいうのだって、けして行儀のいいことじゃないと思うんだけど、義姉さんにはそうでもないんだろう。価値観の相違ってヤツね。なんて。
……お父さまは、一言でいうと、厳格なひとだ。
娘のあたしから見ても、上昇志向が強くて、野心家だと思う。王や王子の信任がもっとも篤いのが自分じゃないのを、不満に思っていた。
なぜバイロン卿の意見ばかりを取り入れるのかと、愚痴めいたことを漏らしていたのを覚えている。あたしが聞いてることに気づいて、うろたえて、すまん、忘れてくれ、そう恥じたようにいったことも。
そう――善良とか、清廉とか、そういう形容は出来ない。娘の贔屓目で見ても。
けど、王家に忠誠を誓っているはず。よかれと思っての進言が聞き入れられないことを、嘆き愁う程には。
そうよ、お父さまがそんな恐れ多いことをするわけ――
だって、あたしやエスニャには優しかったもの。
死んだお母様によく似た容姿の、内気な妹のエスニャをとても可愛がっていて、けどエスニャが一番可愛いんでしょって拗ねると、馬鹿なことをいうんじゃないって怒ったもの。
フリージ家に誇りを持っていた――家に恥じない振舞いをしなさいって、しょっちゅう怒られていたもの。
それなのに、消えないこの不安はなんだろう。
王子を、謀殺。
そうだ。それこそきっと、王子と折り合い悪かったお父さまに罪をなすろうっていう陰謀なのよ。王子の死に不審な点があった場合、一番に疑われるのは王子と仲の悪かったお父さまだもの。
打ち消し。けど。また浮かぶ、不安。
そういえば。
なぜお父さまは、あたしが神父さまと一緒にブラギの塔へ行くのを反対したんだろう。
あんなに強行に。
あれくらいのわがままなんていつものことなのに、手を上げて、部屋に閉じ込めようとさえした。抜け出してきちゃったけど。
……不安。
気がつくと辺りは、薄暗くなっていた。
夕方? まさか朝方って事はないよね。
あのままあたしは少し眠ってしまったみたい。だんだん頭が覚醒していく。
外が騒がしいな。なんだろう、なにかあったのかな。
――不意に、思った。
そうだ、家に帰って、直接お父さまに聞こう。ここでうだうだ考えてたってしょうがないし。なにか誤解があるんなら、それだって一気に解消しちゃえる。
がば、と跳ね起きる。
そうよ、それが一番いい。そう……それに、神父様のお役にだって立てるじゃない。
途端うきうきして、あたしはさっき二人が会談していた部屋へ向かった。
けどそれは。激しい喧噪に遮られた。
グランベル軍が。
お父さまと、ランゴバルドおじさまが、「反逆者」シグルドを撃つためフリージとドズルの軍を率いて来たのだ。
シグルド公子達は――もちろんあたしも一緒に――オーガヒル砦付近まで後退した。
そこで、海賊討伐に出ていた軍と合流。
タイミングよく飛来したシレジアの天馬騎士の申し出を受け、シレジアへ渡ることになる。
その、船上。
手摺に凭れ、波の揺れるのを眺める。
始めて見る沖の、夜の海の色。深く暗く、吸い込まれたくなる。吸い込まれてしまえば、憂鬱な気分も一緒に消えちゃうだろう。
そんなふうにして。眼下の波に向かって唸っていたら。
「なんだ、ティルテュ。こんな所にいたのかい」
くるり、と振り返る。
風に揺れる金の髪。ブリギッドが、肩を竦めて立っていた。
そのままあたしの横に並んで、星と波の境界を見つめる。
「シレジアは、寒いんだよな」
唐突に、いった。
「え、そうなの?」
「ああ。あたしも義父に聞いただけなんだけどね」
「ふうん」
そういえば。船に乗り込むときに見かけたきりだったけど、ブリギッドも一緒に来たのはどうしてだろう。
疑問が浮かぶ。それが顔に出たのか、
「あたしがなんでここにいるか、不思議かい?」
にい、と笑い。
「あたしもびっくりしたんだけどさ、あたしはユングヴィの公女さまなんだってさ」
「えぇ?」
「エーディンって、知ってるかい?」
「うん」
「あれがさ、あたしの双子の妹なんだって」
あたしがアグスティに向かったしばらく後。
海賊との戦いに勝利を収めて軍としては意気揚揚だったのだけど、ブリギッドは自分の帰るところを自分の手で潰してしまったわけで、寄る辺なくなって途方に暮れてもいた。
ところがそこで引き合わされたのがエーディンで、ブリギッドは幼い頃に行方不明になったユングヴィ公女に違いないという。ウルの聖痕も確認されて、晴れてイチイバル後継者の次期ユングヴィ女公。
で、そのあと会見したシグルド公子の申し入れ――今は反逆者の汚名を着せられているけど、いつか誤解が解け本国へ凱旋できるだろうから、と――もあって。そのまま従軍することにしちゃったというわけ。
「アレクがエーディンに会うとかいってたのってそのことだったのか」
「ああ。アレクはエーディンの双子の姉が行方不明になってるってこと知ってて、あたしの顔見てもしやと思ったんだって」
うーん、気の利くやつ。
「よかったね」
「そうだな。エーディンもシグルド公子も、いい人みたいだし。
……でもさ、おかしいよね。海賊の元首領がさ、公女さまだって」
くすぐったいのと、嬉しいのと、困惑とが綯い交ぜになった感じで。
「ホント、似合わなーい」
正直な意見を述べると、
「やっぱ柄じゃないよねえ」
笑いながらあたしを小突いた。
そして。
ブリギッドがぽつりという。
貴族だの騎士だのはお上品でお高い連中ばかりだと思ってたんだけど、と前置きして。
「でもさ、あんたとかアレクとか、気取らない人間がいてくれて良かったって。あの時ティルテュ達に会えたのは、すごく運が良かったって、そう思ってるんだ。それだけ、いっておこうと思って」
「ブリギッド?」
「うん……あのね、兵士達が変なこといってたからさ、ノイッシュ掴まえて話聞いたんだけどさ――グランベル軍を指揮してたのって、あんたの父さんなんだってね。心配してたよ、ノイッシュ。あんたが責任を感じて落ち込んでるんじゃないかって……見事に落ち込んでるみたいだけどね」
「……」
「あたしは事情はよく知らないけどさ。誤解とか、不幸な行き違いとか、そういうんなんだろ? だったらさ、おいおい解決するさ」
どこまでも脳天気なブリギッドの言葉。
なんだか気持ちが、軽くなった。
そうよ、もともと、なにかの間違いに違いないから、お父さまと会って話そうって思ってたんだもの。
シレジアについたら、手紙を書こう。
まず、いうこと聞かないで出て来ちゃってごめんなさい。それから。
シグルド公子とは直接話していないけど。彼の人柄を見て従軍を決めたブリギッドは、そして彼の部下の騎士は、とても優しいの。あたしを心配してくれるの。いたわってくれるの。いい人達なの。
だから――だから、嘘だよね。なにかの間違いだよね。
「さあて、あたしはそろそろ船室に戻るよ。いつまでもこんなトコにいたら風邪ひいちまう。ティルテュも早く戻りなよ。じゃあね」
そういうブリギッドに、うん、と頷き。
そして、海と空へ目を戻す。
星が、波間にのみ込まれていくような、気がした。
つづく。
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