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「白詰草咲く頃」 (後)
夕暮れ。
結婚式を明日に控え、城内は益々にぎやかだ。
かなり大事になっちゃってて、鷹揚に構えているエーディンはともかく、残りの主役三人は戦々恐々としているだろう。
――その顔を見て、おめでとうっていってあげられないのだけが、ちょっと、残念。
お財布には、中級の魔道書を一〇冊買ってもお釣りが来るくらいのお金は入っているし、防寒用のマントも羽織ったし。
喧噪に紛れて、あたしは城を出る。
途中、顔を見知っているものに見咎められもしたけど、ヴェールの生地が足りなくて急遽買い出しなの、といって笑うと、そうですか、気をつけてと納得してくれた。
なんかもう、バッチリって感じ。
東の港までは殆ど一本道だし、半日も歩けば着くはず。そしたら朝一番の船に乗って……。
そう、あたしはグランベルへ帰って、お父さまと直接話すことにしたの。
きっと、あたしの話には耳を傾けてくれるから。そしたら悲しい誤解はみな解けて、みんなで国へ帰れるようになって。
アゼルなんかイザークの王女をお嫁さんとして連れ帰るから、アルヴィス様はそれは驚くだろう。
くすくす笑いながら、まだそう深くない雪道を歩く。
真っ白に広がる平原。この景色は、あたしに強く、春のクローバー畑を思い出させる。昔よく遊んだクローバー畑。一面の緑が、春だけ、白詰草で真っ白になる。夢の様な、白。暖かな春の日差し。きっと、この雪より、綺麗な風景になる。
きっと、春には。
街道は、人通りが殆どなかった。夕暮れだからだ。きっと。
もしくは――まあ真冬のシレジアを徒歩で渡る無謀ものはあたしくらいなんだろう。
せいぜい半日の行程だしね。
……なーんて、割と短絡な考えで城を出てきてしまったのを。
小一時間後には、早くも後悔していたりした。
なにしろ寒いのだ。雪道を徒歩で行くなら足元の防寒にも気を配らないと相当辛いということを、身を持って知ってしまったし。日が落ちればそれこそ気温が急降下して行くということも、身体で実感。
おまけに。
一本道だったはずの街道の、分かれ道を左に曲がってしまったのが間違いだったのか。それとも知らないうちに別の道に入ってしまったのか。
いまあたしが歩いている街道だったはずの道は、道なき道の様相を呈しちゃっている。
簡単にいうと、鬱蒼とした木々の間を抜ける獣道に迷い込んでしまったということ。
もっと簡単にいうと……道に迷っちゃったみたい。
まずいなー。夜に進んで朝に船出ってのは、どう考えても無理。それどころか――ああダメダメ、暗いこと考えるとますます疲れちゃう。
けど、教えを請うにも辺りには家一軒人一人見あたらない。……あたし嘗めすぎてたな、シレジアを。雪が降っていないのだけ、幸いだ。
そんなことをつらつら考えながら。切り倒された、かつて巨木だったと思われる切り株に、あたしは腰掛けた。
さて、どうしよう。
あたしは割と深刻に、途方に暮れていた。
考えるとどんどん暗くなりそうで、けどこのままこうしているわけにもいかない。どうすれば。
――ノイッシュ。
ふいに、金髪の騎士の顔が浮かんだ。
軍内で最初に知り合ったということもあってか、つい気安くて。いろいろ気遣ってもらったと思う。
あの時、オーガヒルで絶体絶命のピンチを助けてくれたように、また助けてくれないかな。
なんて。
夢みたいなことを。思う。
でも。
ノイッシュ。助けてよう。寒いよう。疲れちゃったよう。……んもう、どうして来てくれないの。
理不尽だってことは判っているけど。段々、腹が立ってきた。
そして、そんな自分が少し哀しくなる。こんな時にこそカラ元気なのに、八つ当たりで気持ちを保とうとする。
あたしは、浅はかで愚かで小さくて弱い――お父さまに似て。
と。
なにかを呼ぶ声が聞こえた、ような気がした。
耳を澄ます。風かな。動物の声かな。それとも――
立ち上がり、すう、と息を吸い。
「あたしはここー!!!」
思い切り叫ぶ。
途端、がさがさと木々を掻き分ける音と、雪の上を駆ける音。木々の間を揺れる小さな明かり。
――やがて。
カンテラの明かりと共に。フード付きマントを羽織ったノイッシュが、現れた。
ホント、夢みたい。
「なにを考えてるんですか! 冬のシレジアで、一歩間違えば取り返しのつかないことになるんですよ!!」
ノイッシュはあたしに駆け寄るや、思い切り怒鳴りつけた。
本気で怒ってるのが判るくらいの、滅多にない荒げた声で。
「そ、そんなに頭ごなしに怒鳴らなくてもいいじゃない。あたしだってまずかったなーって反省してるんだから」
いつにない卑屈な態度になにか感じたのか。
ノイッシュは、ふうと溜め息をついた。
「……とにかく、お疲れでしょうが、ここに留まっていては凍えてしまいます。さあ、城へ戻りましょう」
立ち上がろうとしないあたしに手を差しだし、
「アレクに後を頼んできました。公女がおられないことについては、上手くフォローしてくれているはずです」
だから、今ならなにもなかったような顔で戻っても平気。そういう。
バーハラへのルートを聞いたときのあたしの態度を、ノイッシュは不審に思っていたのだという。あたしのごまかしに全く惑わされず。あのときバカみたいにぺらぺら喋りまくったのはまるきり無駄だったってわけ。
それで、割とちょくちょくあたしの様子を伺っていて、だから真っ先にあたしがいなくなったのにも気付いた。
あたしがどこへ行ったのかも、すぐに察したらしい。
そして外へ出たら、まあ判りやすく足跡が続いていて、だからこうやって追跡出来たのだと。ホントに、雪が降ってなくて幸い。
「一人で探しに?」
あたしが訊ねると、ノイッシュは一瞬、心苦しそうな表情をした。
そして、
「……公女の身の安全を第一に考えるならば、皆で追うべきだったのかも知れません。しかし、事を大袈裟にするのは公女の望むところではないと、判断いたしました」
……この人は、城内でのあたしの立場に、あたしの気持ちに、気付いていたんだ。
「明日までにわたしが戻らなかったら、アレクが捜索隊を手配することになっています。
――しかし、わたしの独断で公女を危険に曝すことになっていたかも知れないということについては、どのような罰も受ける覚悟です」
「だ、ダメよ、罰なんて。全然危険なんかなかったんだし。むしろ、大騒ぎになってなくてホッとした。その、おめでたい席をメチャメチャにする気は、なかったもの」
結婚式どころじゃなくなったら、あたしは相当気まずいわ。
けど。
ノイッシュの差し出した手に、あたしは自分の手を伸ばそうとはしなかった。
「公女?」
ノイッシュの訝しげな目を、き、とみつめ返す。
城に戻るわけにはいかない。今はまだ。だって。
「あたしは、グランベルへ行かなくちゃ。だって、あたしがお父さまに話をすれば、お父さまはきっと判ってくれるはずなの。だから、だから」
「――公女は、本当にそう信じておいでなのですか」
怖いくらい静かな、声に。
あたしは、言葉を止めた。
目を反らす。視線が痛い。ぞくりと、今更ながら寒さが身にしみ、あたしは両腕で自分をかき抱く。
すると――
ノイッシュは、自分のマントをあたしに掛けてくれて。
そのまま手を取り、あたしを立ち上がらせた。
「帰りましょう」
「だめ」
あたしはその手を振り払う。
「だって、そうしなくちゃいけないの。だって、あたしのせいで、みんな苦しんでいるんだもん。あたしが、あたしのお父さまが、だからあたし」
「公女!」
「……」
「……公女、なにか、あったのですか?」
ノイッシュが心配そうに、あたしを見つめている。
……ああ、もう。
仕方なしにあたしは――告げ口めいて嫌なのだけど――兵士達の話を、ノイッシュに聞かせた。あたしのお父さまのせいで罪人の濡れ衣をきせれられているのに、その娘が罪人に紛れ大きな顔をしているのが目障りだと。
「婦人を侮辱するなど、騎士の風上にも置けない」
怒りを殺した、ノイッシュの声。
「騎士じゃなくて、傭兵だよ。多分」
「公女……」
あたしの揚げ足に、鼻白む。
そして――ノイッシュは、頭を下げた。ど、どうして?
「すいません、公女。
我々が公女を巻き込んでいなければ……お父上と敵対することも、要らぬ侮辱を受けることもなかったでしょうに」
あたしは狼狽する。
ちがう、そうじゃないの。ノイッシュ達があたしを巻き込んだんじゃなくて、あたしが勝手に飛び込んだの。そして、お父さまが着せる濡れ衣の種を、増やしたの。お父さまに、ノイッシュの主君を、卑劣もの呼ばわりさせたの。
「あたしが、あたしが悪いの。あたしが軽はずみに行動して、だから」
「こんなに思い詰められて……お辛いでしょうに」
ノイッシュが、ぽつりといった。
その言葉が――引き金になったように。
ぼろぼろと、涙が溢れ。
「こ、公女?」
突然の涙に。ノイッシュは慌てる。逡巡し。そして。
不意に、あたしは。
彼の腕の中にいた。
あたしの涙をどう誤解したのか。
「すいません。そんなつもりではなく……公女、泣きやんで下さい」
謝罪と、そして無茶なことをいう。
「う……うるさいのよ。な、泣きやめって、いわれたって」しゃくり上げながら、「止まるもんじゃ、ないのよ」
「す、すいません」
「だ、黙って、て」
「はい」
あたしは頭をノイッシュの胸に押しつけて、思い切り、泣いた。
ノイッシュがなにもいわずただ抱きしめていてくれるのが、とても、暖かかった。
ずっとわかっていて、けど、耳を塞いでいたこと。
お父さまは、あたしを見捨てた。
娘より、野心を取った。
野心に忠実に、謀り事を巡らし、善良な人たちを陥れた。
聞こえてくる様々な噂は、悪意に歪められたものではなく、きっと真実。
もしあたしが単身戻って許し乞うたら、きっと迎え入れてくれるだろう。けど、野心を捨てて迄取り戻そうとは、思っていない。
あたしはお父さまが今でも大好き。お父さまもきっと、あたしを愛している。
けど、それとは別の次元で、お父さまは野心を追いかけ、あたしはここにいる。
袂は分かれちゃったのだ。そういうことなんだと、思う。
あたしは身じろぎして、ノイッシュの腕の中から抜け出した。
涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。
俯いてちょっと困っていると、ノイッシュが懐にごそごそ手を入れ、ハンカチを差し出した。
たまには気がきくじゃない。
まだ鼻声で、ありがと、といって身を翻す。
雪で顔を洗い、ハンカチで拭う。無地の、飾り気のない、きちんとたたまれたハンカチ。すごくらしくて、なんだか、嬉しい。
さっぱりした顔で、ノイッシュの元に戻る。
ノイッシュはなにもいわず、静かに待っていてくれた。
「ハンカチもらっちゃっていい?」
「はい」
「ありがと。
さ、城に帰ろ。今から戻って仕度すれば、ぎりぎり式に間に合うよね」
「そうですね」
「ちょっと寝不足だけどね」
「そうですね」
顔を見上げ、うふふ、と笑う。
「どうかしましたか?」
「ううん。なんでもない」
ノイッシュに手を引いてもらって、鬱蒼とした辺りを抜ける。
やがて、広々とした雪原。
月と星に照らされて、とても綺麗。
「あのね、ノイッシュ」
「はい」
「フリージ城の裏にね、クローバー畑があるの」
「はい」
「春になるとね、白詰草が満開になって、まるでこの雪原みたいになるのよ」
「それは……綺麗でしょうね」
「うん。すごく、綺麗。この雪原より、綺麗なの。いつか――」
一呼吸おいて。
「ノイッシュにも、見せてあげるね」
「ありがとうございます――楽しみに、していますね」
ノイッシュがそういって優しく笑ってくれたので。あたしはなんだか、暖かな気持ちになって、ノイッシュの腕にぎゅうっとしがみついた。
深夜にこっそり部屋へ戻ったあと。
起きて待っていたブリギッドにめちゃめちゃ怒られ、そして結果的に「ナイト付きで深夜のお散歩」になったことをひやかされたのだけ、付け加えておく。
もどる。 えんど。
20001024
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