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「おねえさまへ」 (前)

 注:エルト×ラケなひとは、読むとストレスが溜まります。


 グラン暦七五四年、ノディオン王国。
 王宮の城門へ至る回廊を、一人の小柄な少女が不機嫌な顔を隠しもせず歩いていた。年の頃は一二程。短く揃えた金の髪に白い肌、深い蒼の瞳は長い睫に彩られている。
 彼女は、剣の鍛錬中を抜けてきたのか、胸当てだけという騎士の軽装のまま流れる汗を拭いもせず、ずんずん歩いていた。
 その後ろを。赤毛の騎士が慌てて追いかけてくる。
「イーヴ、止めないで頂戴」
 甲高い、凛と通る声。
 しかし、と困ったように騎士はいう。
「大丈夫よ。失礼なことはしないわ。わたくしはただ、お兄様の政略結婚の相手を、この目で見定めたいだけ」
 くるっと振り返って微笑む。その笑みに、イーヴと呼ばれた若い騎士は怯んだ。
 だが、ここで怯んだままではいけない。



 少女――ノディオン王エルトシャンの腹違いの妹姫ラケシスが、聡明な兄王を誰よりも慕っているのは有名な話だった。
 その慕う様がやや度をこしているのではないか、そんなふうにいう者もいた。いつか、兄妹の情をこえた想いを抱いているとまで噂された。
 家臣達は一笑に付したが、しかしラケシスが重度なブラザーコンプレックスであることだけは誰の目にもあきらかである。
 従って、王とレンスター貴族令嬢の縁組みの話が持ち上がったとき家臣達の心中にあったのは、王の意向でも妃候補の人柄でもなく、ラケシス王女の存在である。
 まさか、妨害工作まではされないでしょう。
 そういって家臣達は笑おうとしたのだ。しかし、それがひきつるにとどまったとき、彼らは決意した。
 この縁談がまとまるまでは、王女の耳にけして入れるべからず。対王女限定トップシークレット扱い。
 家臣達の努力は、縁談相手がノディオン城を訪れ我らが王と面談する今日のこの日の朝までは、上手くいっていたのだ。王女は城内の空気こそ敏感に感じ取ったものの、それを具体的に類推するまでは至っていなかったのだから。

 しかし、よりにもよって今日。王女付きの侍女は、侍女仲間との立ち話を王女に聞かれるという愚を犯した。
 さらに、王腹心の騎士であるイーヴ達三兄弟のうちで最もうっかり者だった末弟アルヴァが、今朝の王女の鍛錬の相手だった。

 王女のカマかけに屈してから全てをゲロするまでに、アルヴァはそう多くの時間を要さなかったという。
 泣きついてきた弟を一発殴った後、イーヴは慌てて王女を追った。
 王女を止めることは出来まい。せめて、相手に失礼があって国際問題に発展、などという怖ろしい事態だけは回避しなくては。
 イーヴは悲壮な決意を持って王女の後に続く。
 そしてラケシスは――兄の結婚相手を乗せた馬車より速く出迎えの列に着き、底冷えするような美しい笑みで家臣達を睥睨し、そして、列の最前に立った。

 やがて、先導の騎士に伴われ、豪奢な造りの馬車が到着した。



 出迎えの列の前に止まった馬車から。
 騎士の手を待たず自ら扉を開け、一人の女性が現れた。年の頃は一八、九程。落ち着いた雰囲気の彼女は、そのまま、すとん、と地面に足を付く。
 後ろで編んだ栗色の髪、白磁の肌にはしばみ色の瞳。
 襟刳りが大きく肩まであいた、けれど華美ではないドレスに身を包んだ彼女は、おっとり首を巡らし出迎えの者達を眺めた。

 その目が、一人の人物の上に止まる。
 黄金の髪の、いまだ性の境界にあって中性的な、華奢なラケシス王女。

 彼女はにっこり笑った。ラケシスに駆け寄り、その前に立つ。
 ラケシスは怪訝な顔で、兄の結婚の相手を見上げ――そのままぎゅうっと、抱き寄せられた。

――なに? 一体なにが起こっているというの?

 彼女の豊かな胸に顔を埋めたまま、ラケシスはパニックに陥る。
 暖かな、石鹸と、花の香り。
 柔らかな腕と胸。
 不思議と安らかな気持ちになる自分が居て、ラケシスはいっそう混乱した。
 と、女性の背後の侍女が、コホンと意味深い咳払いをした。
 それに応呼したように、彼女はおっとりラケシスから手を離す。
 ラケシスに不思議な感情が残った。名残惜しいような。離れがたいような。
 目の前で起きた一連にいまだ対応しきれないノディオンの家臣達の前で、レンスター貴族令嬢は優雅に礼をし、ふんわり微笑んだ。
 そして――

「失礼を致しました。レンスターより参りました、グラーニェと申します。王自ら出迎えて下さったことが嬉しく、つい礼を失した振る舞いを致してしまったことをお許し下さいませ。不作法ものではございますが――」

「ちょっと待ったー!」

 ラケシスは王女にあるまじき勢いで、彼女――グラーニェの口上を遮った。
 彼女は今なんといったのか。
 「王自ら」?
 どこをどう見回しても、この場に若きノディオン国王エルトシャンの姿はない。
「どうかなされましたか?」
 グラーニェがこっくり首を傾げる。少女のように愛らしい仕草で――ではなくて。
「今、王自ら出迎えた、と仰られたようですが?」
「はい、陛下」
 躊躇うことなく自らに呼びかけられた「陛下」の言葉に、ラケシスは言葉を失った。
 事態を悟った騎士が、見るに見かねて口を挟む。
「失礼ながら……その、こちらのお方は陛下のお妹君の、ラケシス王女殿下です……」
「あら?」
 グラーニェは目を見開き、まじまじとラケシスを見つめ。
 気を取り直したラケシスは、ひきつりながら彼女に問うた。
「なぜ、わたくしをお兄様とお間違えに?」
「大変若くして王位に就かれた、金髪のとてもお美しい方だと聞いて参りましたので。本当に、随分とお若く愛らしいお方でいらしたので、少しびっくりしておりましたの」
 確かに、エルトシャン王は若い。しかし、一二歳のラケシスと見間違うほど若くはない。
「――とても可愛らしくて、親しみの持てる方なのだと嬉しく思っていたのですけど……わたくし、間違えてしまったのですね。申し訳ございません」
 ふかぶかと、グラーニェは頭を下げる。
 ラケシスは慌てた。
 ノディオン、レンスター両陣営の居並ぶ中。王女の前で頭を下げる貴族令嬢。なんとなくまずい状況、そんな気が、ひしひしする。
 それに、勘違いしていたとはいえ、この自分を「美しく、愛らしい」はともかく「親しみの持てる」といってくれた彼女に頭を下げさせているのは、なんというかとても嫌だった。
「あ、頭を上げて下さい、グラーニェ様。謝っていただくようなことではないんです。わたくし、ちょっと疑問に思っただけで」
 幾分慌てた口調のラケシスに、グラーニェは頭を上げ、ふんわり微笑んだ。
 そして再び手を伸ばし――ラケシスを抱きしめた。
「お優しいのですね――ありがとうございます。こんなお美しくお優しいかたと出会うことが出来るなんて、グラーニェは幸せ者ですわ」
「あ――わ、わたくしも――グラーニェ様を、歓迎いたしますわ」
 柔らかな腕の中、どこかぼーっとしたまま、ラケシスは答える。
「まあ、嬉しい!」 ぎゅう、と抱く腕に力を入れ、「仲良くして下さいませね」
 すり、と頬ずりしたあと、ゆるやかに離れたグラーニェの。
 その手を、己の手で取って、いつかラケシスはこういっていた。
「ええ――ええ! グラーニェ様。どうぞ、ずっと、この城にいて下さいませ――」



 応接の間で近未来の花嫁を待っていたエルトシャンは、現れた者達に面食らった。
 失礼します、と、聞き慣れた騎士の声が先達を勤め、静かな足音と共に優雅に女性が現れる。
 その腕に。
 ラケシスが貼り付いていた。べったりと。
 エルトシャンは、妹と、そして己の未来の妻と思われる女性を交互に見た。
 髪の色が、士官学校時代に知り合った親友の一人と同じだな、そんな愚にも付かないことをぼんやり思う。
 騎士は、す、と隣室へ戻った。恐らく女性に付き従ってきた者達も、隣室に控えているのだろう。当事者同士で話を、そういう計らいなのだろうと察せられた。――しかし、それでは、なぜ妹が同席しているのだろう。しかも、兄である自分ではなく、今のところ他人である彼女に付き従うように。
「レンスターより参りました、グラーニェと申します。不作法ものではございますが、よろしくお願いいたします」
 ラケシスを邪魔にしないよう、簡単に、しかし優雅に彼女は礼を取る。
 我に返ったエルトシャンは、長旅で疲れただろう、と長椅子に座るよう促した。
 しかし。ふわり座るグラーニェに続いて当然のように隣に腰掛け再び腕に貼り付く妹に。
 なぜか軽い頭痛がした。

 奇妙な三人の鼎談は和やかに進んだ。
 グラーニェは少しおっとりした質であるようだが、歯に衣着せぬ物いいをする。物静かで芯はしっかりした、信頼に足る女性であるとエルトシャンは感じた。
 感情の表現が豊か過ぎる気がするが――彼女は感情を顔に表し態度で示すことに抵抗がないようだった――、それは出身地を同じくする親友もそうであったし、レンスター人気質という物だろうと思う。
 まあ、政略結婚の相手が好意の持てる女性だというのは、幸運なことなのだろうな。
 そうひとりごちる。
 おまけに、一二の年に似合わず気性の強い妹がこんなに懐いている。
 これ以上の女性はそう望めまい。



 ――そうしてノディオン王エルトシャンとレンスター貴族令嬢グラーニェはつつがなく結婚し、うれしはずかし新婚生活が始まった。

 はずだった。

 

つづく

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