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「おやすみなさい」 (前)

 * 寛大な気持ちで読んでいただけたら幸いです。


 トラキア王国、ミーズ城。
 竜騎士たちとの戦いに辛くも勝利した解放軍は、トラキア王国の入り口ともいえるこの城を制圧。被害状況の把握や必要物資の調達など、騒然とした空気が辺りに充満しているようです。
 わたしも先程まで怪我人の治療に大わらわでした。それがやっと一段落ついたので、ユリアやマナとゆったり休憩していたところです。

 治療の間じゃまになるからと髪を結わえていた布を引っ張ると、癖のある髪がつられたように広がりました。
「ラナの髪。うらやましいな」
 マナのつぶやきに。そうかな、と、つい、否定めいた言葉を返してしまいました。くるんと巻いた一房を目の前に引っ張ります。エーディン母さまの髪は、波打つ黄金色。でもわたしの髪は、赤みがかってくすんだ色。なまじ同じ「金髪」なだけに、その「違い」はちょっと気になります。
 マナの、イザーク人らしい真っ直ぐな黒髪のほうが、わたしは好き。そういうとマナは、地味だから、首を振りました。そりゃ、イザーク国内にあったら皆黒髪だから、地味派手でいったらマナの髪の色は埋没するけど。目立てばいいというものではないし、国籍入り乱れる解放軍にあっては漆黒の艶やかさは際だっているのに。自分のことは、見えないのね。
 ふと、ユリアが口元を綻ばせました。
 視線を追って振り返ると、ラクチェがひらひら手を振っています。そして、隣にはスカサハ。
 あっという間に目前まで走ってきたラクチェは、 
「物資の調達にちょっと手間取ってるから、それまでお休みだって」
 そういって、わたしの隣にぺたんと座りました。
「手間取ってるって?」
「うん。ミーズ城下の人たちが、提供を渋ってるんだって。まあ無理ないけど」
 トラキア王国から、わたしたちは侵略者と見なされる。そう苦渋の表情でいっていたセリス様を思い出しました。確かに、トラキア側から攻めてきた戦いとはいえ、国内にまで攻め込むのは侵略行為ととられてもいい訳できません。
 と、ここまで考え気持ちの沈んだところに。
「違うって、ラクチェ」
 スカサハが、苦笑していいました。
「ただ提供を渋ってるんじゃなくて、低価格での提供を渋ってるんだよ」
 はい?
「ミーズの商工組合のいいぶんは、戦争と商売は別物だから物資調達に協力することは吝かではない。しかし、戦時下の折り、品不足から商品の価格が上がるのは致し方のないことではないか、だって」
 そうして、商工組合代表と解放軍首脳の駆け引きが始まり、どうやら長引きそうだと。
「トラキアの人ってすごいのねえ」
 わたしだったら、占領軍に対して交渉しようなんて勇気はないわ。感心するマナ。
 勇気なのかしら、とちょっと疑問がわきました。
 たとえば。価格の交渉が長引くことは、解放軍に時間的損失を与えます。交渉が決裂したにしても、物資をマンスターから調達しなくてはならないためやはり時間のロスです。かといって、相手のいい値を受け入れてしまうと、今度は経済的打撃が計り知れません。かつ、その場合、収益がトラキア王国の軍資金として出資される可能性も捨て切れないし。
 したたかな市民レベルの抵抗。
「うううラナ考え過ぎよぉ」
 ラクチェが頭を抱えて地面に伏せています。考えがこんがらがってしまった模様。
 どっちにしても、トラキア人というのはタフな人たちに違いないわね。
 そういうと、なぜか皆、妙に神妙な顔つきで頷きました。



 浮いた時間に、ラクチェたちは闘技場へ行くようです。マンスターの闘技場で頂点を極めたラクチェに相手なんかいるの、と疑問を発すると、場所が変わればまだ見ぬ挑戦者が現れるのはお約束よ、との返答です。お約束って一体。
 ユリアとマナは一緒に引きずられていきましたが、わたしは杖の修理に行きたかったのでラクチェの誘いを断りました。わたしのリライブやリブローの杖は、連戦のため損傷激しく、いい加減きちんと修理しないと先の行軍に差し支えるのです。
 ――あ。
 ふいに、思い至りました。さっきのスカサハの話。うかつに鍛冶屋へ出かけても、法外な修理代をふっかけられるかも知れません。どうしようかな。
 しばし考え。
 交渉が終わったあとの、その内容によって判断することにしました。価格に折り合いがつくようなら便乗させてもらえばいいのだし、折り合いがつかないようだったら単独で値切るしかないでしょう。
 そうすると。
 わたしの時間も、見事に浮いてしまいました。
 ラクチェたちについていけばよかったな。まあ、今から追いつけるものでもないけど。
 そうね。天気もよいし。散歩でもしましょう。街中は人の目がちょっと気になるから、マンスター側の方へでも。

 ミーズ城裏の西手は、木もまばらな小さい森です。木漏れ日というよりほとんど直射日光が地面を照らし、森とは思えない明るさ。それともここくらいの木々は森じゃなくて林というのかしら。まあどうでもいいことなのだけど。
 静かです。鳥の声は時折聞こえますが、あとは風と葉擦れの音くらい。
 ああ、そうか。こうやって一人でいるのは、すごく久しぶりなのだわ。
 ティルナノグを出てからこっち、いつもそばにユリアやマナが居て、ラクチェが居て、みんなが居て。わたしは一人きりになることはほとんどありません。そうね、こうして一人で居るのって、たまにはいいわ。少し寂しいけど、一人で静かにいろいろなことを考えるのって嫌いじゃない。

 突然景色が開け、丘が現れました。
 天辺まで登っても大した見晴らしではなさそうだけど、どうせ暇なのだし。少し座って、ぼんやりしようかな。

 そんなわたしの思惑は、見事に外れました。

「あ、ラナだ。ラーナー、こっちこっちー!」
 丘の天辺の、ちょうど死角になっていた木立の辺から。突然ひょっこり頭を出したフィーが、両の手をぶんぶん振っているので。



「ラナ、ちょうどよかったわ」
 丘から下りてきたフィーに両の手を掴まれ、わたしは熱烈歓迎を受けました。
「ど、どうしたの?」
「いいからいいから、ちょっと来て」
 そのままずるずると引っ張られます。
 連れて行かれた天辺には。困ったような、呆れたような、そんな表情のセティが、つくねんと立っていました。
「兄妹そろって、こんなところでどうしたの?」
 まあ、わたしも、理由もなく「こんなところ」に来ているのだけど。
 フィーは、一本の杖をわたしに差し出しました。
「スリープの、杖?」
 見覚えがあるそれは、人に眠りをもたらす杖です。わたしが母さまから頂いて、役立てられるように配分してくださいとオイフェ様に預けていたものでした。回り回ってフィーの元へいったのでしょう。
「お兄ちゃんがオイフェさんから託されたんだけどね」
 違いました。セティでした。
「ほら、あたし昇位して杖の使用を許されたじゃない」
 フィーは、杖を構えて見せます。でもその持ち方は、槍を持つそれのような気が。
 フィーが昇位したのはマンスター開城直後です。わたしも、ライブ系の杖をどれか渡さなくちゃと思っていたのだけど、雑事に追われてすっかり忘れていました。ですから、ひょっとして、彼女が杖をまともに触るのは今日が初めてなのかも知れません。
「だからね」
 フィーは続けます。
「父さん譲りの才能で高等な杖も使えるんだし、ここでいっちょスリープやサイレスの杖を使いこなせれば、あたしの機動力も相まって相当役に立つんじゃないかなあと思ったの」
 フィーのお父さまはエッダ公爵クロード様だそうですから、確かに彼女はリザーブと神器以外の殆どの杖を使うことが可能なはずです。
「それにほら、あたしは特に、可及的速やかに攻略しなくちゃならない事柄に駆り出されることが多いでしょ。か弱いあたしに山賊を一撃で倒せったって無理な話だけど、スリープなら一撃必殺よ」
 一応。スリープでは殺せません。
「それでね、お兄ちゃんに杖の使い方を習っていたところなんだけど。お兄ちゃんてば教え方下手なのよう」
 ああ、熱烈歓迎の理由がやっとわかりました。
「だからね、ラナ。杖の使い方、教えて」



 フィーに押しつけられたスリープの杖を抱えて、わたしはちょっと困っていました。
 使い方を教えてくれ、といわれても。
 どうやって杖から魔法を発動させているのか、なんて、普段意識したことはありません。杖を掲げ、傷よ塞がれ、と祈れば怪我は治ってくれるし、沈黙を、と祈れば詠唱が途絶える。
 うーん、どうすればいいのかな。
 ついと視線を向けると、同じく困っているセティがすまなそうに頭を下げました。
 頼りにはできなそう。

 昔。昔々、わたしが僧侶を志して勉強を始めた頃。わたしの手に杖を握らせてくれたのは、エーディン母さま。
 あ。
 そういえばあのとき、母さまがおっしゃった。

「杖は媒体にすぎません。あなたの祈りの指針になっているだけなのよ」

 杖に魔法が籠められているのではない。祈る心が魔法になり、杖はその道筋を示すだけ。人の気持ちはあやふやなものだから、杖なり魔導書なりかたちあるものを指針にしないと、思う「かたち」にすることは難しいのだと。

 つまり。思い込みを増強するものが、杖。
 祈りを魔法に変える素養のあるものが強固に「信じれば」、それはかたちになって現れる。
 はず。

「ええとね、フィー」
「うん」
 期待に満ちた目で、フィーが力強く頷きます。
「その前に一つ聞いておきたいのだけど。フィーは、スリープ以外の杖、ライブとか、は、使えたの?」
「んー」
 唇に人差し指をあてたポーズで。
「まだ、試してない」
「じゃあ、まずそれから始めないと」
「え、そうなの?」
「絶対そうしなくちゃならないってことはないのだけど、ものには順番ていうものがあると思うの」
 全く説得力のない説明。
「なるほど」
 納得してくれました。
「じゃあまずライブを試して、と。……あ、でも、怪我人が居ないから発動してもわからないかも」
 どうしよう?
 きょろきょろと、フィーは周りを見回します。わたしたち以外は無人でした。怪我人なんて、居ようがありません。
「んー、お兄ちゃん、」
「それは却下だ」
 フィーがいいかけたなにかを、セティは反射的に遮りました。
「却下って、まだなんにもいってないのに」
「わたしに怪我人になれといおうとしただろう」
「えー………………そんなことないよう」
 えー、の後ろの長い沈黙がとっても気になります。



 獣の爪でしょう。裂くように皮を剥がれ、そこから枯れかけている中木。
 それに向かって、フィーはライブの杖を掲げ、小さく祈ります。木皮が伸び、たちまちに傷が塞がりました。
「ふう」
 息をついて、くるっと振り返ります。
「木に向かってね、元気になって祈ったの」
 こういう要領なのね、と。うんうん頷いています。

 眠って、とか、黙って、とか。遠くへ、とか。そういう「祈り」より、元気になって、傷が治って、そんな祈りの方がイメージしやすいのかも知れない。だから、「ライブから」なのかしら。

 フィーの様子に、わたしもそんなことを考えていました。
「さーそれじゃスリープいってみよう」
 コツは掴んだ、といわんばかりに。フィーは再びスリープに手を伸ばします。
「ほら、お兄ちゃん。そこに立って」
「まてフィー、なんでわたしなんだ」
「え。まさかお兄ちゃん、ラナを実験台にしろっていう気?」
「いやそういうことじゃなくて」
「非道いっ。か弱いラナにスリープをかけろっていうのね」
「わたしならいいのか」
「あ、そうか。やっだーお兄ちゃん。ラナ眠らせて、あーんなことやこーんなことしようって……」
「まてまてまてまて! なんの話だ!」
 果てなく続くかと思った二人の漫才は、セティの諦めきった台詞――わかりました好きにしてください思う存分スリープかけて下さいどうかお願いします――で終止符を打ちました。
「そうそう。最初から素直に承諾してくれればいいのよ。それじゃ、いくね」
 肩を竦めるセティに向かって、フィーがスリープの杖を構えます。
「眠って眠って眠って、えい」
 まあ、祈りの文句はなんでもいいとは思うんですけど。でもフィーのそれは、なんというかとてもシンプル。
 それを受けたセティには、なんの変化も見えません。
「もいっかい。眠くなーる眠くなーる。お兄ちゃんは眠くてたまらなくなーる」
 催眠術じゃないんだから。
「うー。再度挑戦。眠れ眠れ眠れねむれ」
 欠伸の一つもありません。
 フィーはスリープの杖をためつすがめつし、こんこんと叩き、ぶんぶん振った後いいました。
「この杖壊れてる?」
 わたしはたまらず笑ってしまいました。
 あん、ひっどーいラナ笑うなんて、と。むくれたフィーは、わたしにスリープの杖を渡します。
 よく考えなくても、わかる話です。今の今までうかつにも失念していたのだけど。
「あのね。多分、魔力が低いんだと思うわ」
「魔力?」
「ええ。スリープやサイレスといった相手が抵抗しうる魔法は、相手より高い魔力でかけないと効果を発揮しないんだった。ごめんね。わたしも今思い出したの」
「ホントに? 壊れてるんじゃなくて?」
「そう。セティの魔力はわたしよりも大きいから、わたしでも無理よ」
 所在なげに立っているセティに向かって。わたしはスリープの杖をふるって見せました。
「ね。眠らないでしょ」
 と。フィーに向き直ったとき。こて、と。なにかが倒れた音が、ほぼ同時に聞こえました。
 ………まさか。
 おそるおそる振り返ると。
 そこに見えたのは、倒れているセティの姿でした。

つづく

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