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「きみがいるだけで」
アグストリア王シャガールがマディノに隠棲し、アグストリアの王都アグスティはグランベルの占領下にあった。
しかしグランベル軍指揮官シグルドは、ノディオンのエルトシャン王に、グランベル軍が占領するのは一時的なもので、一年経ったら撤退すると約束していた。
そしてアグスティ城に居を構えたグランベル軍は、王都の警邏と山賊や海賊の討伐がたまにある他は、退屈な、けれど平穏な日々を送っていた。
……というわけで、ぼく――グランベル王国ヴェルトマー公子アゼルは、久しぶりに国に帰ることにして、現在その道中にある。
道中と行ってももうグランベル国内だ。
ユングヴィ公国はここから少し南で、東のヴェルトマー公国へ行く通り道にはなり得ない。そのことに少しだけホッとしてしまうぼくは、まだ失恋の痛手から復活していないんだろう。
波打つ金糸の髪、柔らかで暖かい微笑み、女神のように綺麗な、エーディン。
ぼくが大好きだったあの人は、ヴェルダンで永遠の伴侶に出会った。彼に寄り添うその姿は本当に幸せそうで――ぼくは何もいえなかった。
……実はこれは、傷心旅行でもあったりするのかな。
レックスには情けないと笑顔で罵倒された。お前と違ってぼくは繊細なんだ、と返すと更に笑われた。友達がいのない奴だ。
そのレックスも一緒に帰らないかと誘ったのだけど、「親父や兄貴のゴツイ面わざわざ見に行っていられるかよ」と一蹴された。無理に誘うと意固地になるし、一人で帰れないのかとバカにされるのもしゃくなので単身で――といっても従者は数人付いてるんだけど――帰国だ。
自分でいうのもなんだけど、連戦に次ぐ連戦でぼくは大分鍛えられた。
つい最近だって、ヴェルダンとの国境付近で暴れ回っていた山賊団を、アイラに引きずられて壊滅しに行ったばかりだ。いや、アイラは共に歩兵部隊を率いる相棒で、ちゃんとした指令を受けての討伐だったのだけど。
だから山賊の一人や二人くらいなら簡単に撃退できる自信はある。五人十人になったら……逃げ切る自信も、ある。来るなら来い、だ。
……という出発の時の意気込みはあっさり裏切られ、全く何事もなく、ぼくはヴェルトマー領に到着した。
忙しいようで兄には夕食時にやっと会えた。少し痩せたような気がする。そして、険しい目でぼくを睨んでいるような気がするのは……これは気のせい、だろうか。
「その……兄さん?」
ぼくが恐る恐る声をかけると、兄は大袈裟にため息を付いた。しかしぼくが身を竦めるのを見て、ふっ、と笑う。呆れたように、諦めたように。
「――元気にしていたようだな」
「あ、はい」
唐突に発せられた兄の言葉に、ぼくは間抜けな返事をした。
「兄さんは、痩せましたね」
「ああ、忙しかったからな」
ぐ。
「半人前の人間でも、居ないよりはマシだったらしい」
ぐぐぐ。
「突然消えたからな。事後処理も大変だった」
ぐぐぐぐ……。
顔が上げられない。しかし、その後の兄の言葉に、
「――冗談だ」
ぼくは口の中のものを思い切り吹いた。
「汚いぞ、アゼル」
「す、すみません」
控えていた給仕があたふたと拭き物を持ってくる。
「それで――ユングヴィの公女殿は一緒じゃなかったのか?ああ、ユングヴィ領に戻られたのか」
畳みかける口調で、兄はいった。今度は異様にニコニコしている。
「いえ、あの」
「リング卿も喜んでおられたろう」
「いえ、だから」
「ん?どうしたんだ、アゼル?」
「……」
――兄は、明らかにぼくで遊んでいる。恐らく書状などで全てを聞き知っているのだろう。
ふう、とため息をついて、ぼくはいった。
「兄さん、ぼくは、完膚無きまでに失恋しましたので安心して下さい」
兄は、ガタン、と椅子を倒して立ち上がり、大仰に身を震わせた。
「なんということだ……すまない、アゼル。お前の心痛を察することができなかったとは……わたしはなんという薄情な兄なのだろう……許してくれ、アゼル……」
よよよよ、と、テーブルの食器が片づけられ空間の空いた一角に身を伏せる。
ぼくは空になったスープ皿に突っ伏し、底にこびりついたスープで前髪と額を汚した。
兄のああいうところは、本人はすごく嫌がるだろうが父に似ているのだと思う。
ぼくと兄は腹違いの兄弟で、兄は正妃シギュン様の、ぼくは父が一侍女に手をつけて成された息子だった。
そしてぼくや兄の母上以外にも、父は大勢の女を愛した。
父は恐らく、心からシギュン様を愛していたのだ。そして、シギュン様が自分を愛しているかどうかを常に――試さずにはいられない人だったのだろう。
自分がなにをしても愛は変わらない、それを常に確認したかったのだ。酷いことをしても、一途に自分を愛する姿を見ていたかったのだ。
けどそれをやられた方がどんなに傷つくのかは、真には理解できなかったのだろう。そしてシギュン様は去り、父は死んだのだ。
兄は、母親を泣かせてばかりいた父を、酷く嫌っていた。いや、憎んでいた。だから兄は、常に誠実であろうとする。
けど、ああやって近しい者をからかったり苛めたりする。それでも慕う気持ちが変わらないということを確認したいのだろう。
……ぼくは、どうなんだろうか。
この深紅の髪こそ父の血を受け継いでいるが、面差しも性質も母似だといわれる。けれど――やはり、大切な者を痛めつけて、愛を確認しようとするのだろうか。
――まあ、アイラなんかだと、返り討ちされかねないけどね。
イザークの、「深窓の姫君」という言葉からはかけ離れた言動の王女を思い浮かべ、ぼくはくすくす笑った。
ヴェルダンで合流したアイラはぼくと同じ部隊で、「闘技場の女王」という有り難いんだか迷惑なんだかよくわからない異名を持つほど強く、そして自分で自分の強さを自覚している。そして、常に先頭に立って戦い、時には――いや、いつも、無茶ばかりする。
だから、同格で部隊を指揮しているはずのぼくは指揮どころか彼女のフォローに走り回るのが精一杯だ。おかげで歩兵部隊の者達は各々的確な判断力を身につけたようだけど、うーむ、問題ありだよなあ、やっぱり。まったく、感傷に浸る暇なんかありゃあしない。
……あ、彼女のおかげで、ぼくはそれほど落ち込まなくてすんだのかな。
ぼくがアグスティを出立するときに見送りに出てくれたアイラは、後は任せておけ、と笑った。
今頃どうしているだろう。怪我なんかしていないといいんだけど。
翌朝。ぼくはアグスティに戻ることを兄に告げた。
こんなに早くに戻ってしまうのか、なんと薄情な弟なんだ、と兄は大袈裟に嘆き、けど別れ際には、元気で、といってくれた。
来年、王都をアグストリア王に返還したらすぐ帰国しますよ、というと、少し寂しそうに笑った。
「なにがあろうともわたしがお前の兄で、お前を想っていることに変わりはないのだからな」
兄は不意に、真顔でいった。
「大袈裟だな、兄さん。なにがあるっていうんですか」
「まあ、そうだな」
二人顔を見合わせて笑う。
兄は、人を威圧し寄せ付けないところがある。昔からぼくは、兄のそんなところが恐ろしかった。けど、基本的には優しくて、気さくで、お茶目な人なのだ。だからぼくは、小さい頃から彼を慕いついてまわったのだと、思う。
行き同様帰りも特に問題なく、あっさりアグスティに戻ったぼくを迎えたのは、騒然とした空気だった。
「あら、アゼル、おかえりなさい」
そういいながら駆け抜けていこうとするエーディンを捕まえる。青ざめたエーディンに、嫌な予感がよぎった。
「ずいぶん騒がしいようだけど、何かあったの?」
「その……」
「エーディン?」
「山賊討伐に出かけたアイラが負傷したと知らせが入って……」
「なんだって!?」
す、と血の気が引く音が聞こえたような気がした。動悸が早くなる。――アイラが負傷した?攻撃を受ける前に全ての敵をなぎ倒し、かすり傷一つ負うことなく悠然と戦場に立つ、あの、アイラが?
「アゼル」
「ア、アイラは」
どこに?
そういい終える前に、
「わたし今アイラの治療に行く途中だったのよ」
エーディンはライブの杖を示し、いった。
「一緒に行きましょう」
アイラは眠っていて、命に別状はないとのことだった。
ぼくは心から、ホッとした。
翌日――
バルコニーで人の往来をぼんやり眺めていたぼくは、とんでもない人物が通るのを見つけ愕然とした。
長い黒髪を揺らしたアイラ。
慌てて後を追う。
「ア、アイラっ」
アグスティ城下の商店の並ぶ大通りで、ぼくはやっとアイラに追いついた。
息も絶え絶えのぼくに振り返ったアイラは、いとも呑気な口調で、
「なんだ、アゼルじゃないか。どうしたんだ?買い物か?」
と、屈託のない笑顔を見せる。手には愛用の大剣。左肩から首にかけての包帯が痛々しい。
「どうしたじゃない!」
ぼくはアイラに怒鳴りつけていた。
「あんな大怪我をしたってのに、なんでもう出歩いてるんだっ!」
「そんなに大怪我じゃないぞ」
「………え」
「不覚にも意識を失ってしまったけどな。元々そんなに大怪我じゃないんだ。それにエーディンにライブをかけてもらったからな。もう治ったぞ」
そういって、左手を振ってみせる。
「だってその包帯は」
「これは念のために巻かれただけだ。――アゼルにも心配かけたみたいだな。でもホントに、もう大丈夫なんだ」
「けど」
「それよりアゼル、買い物はいいのか?」
「え?」
「店屋はもう何軒も通り過ぎたぞ」
ぼくは一気に脱力した。
「ぼくは買い物に来たんじゃないよ。アイラが出かけるのが見えたから、追いかけてきたんだ」
「そうか。じゃあ一緒に鍛冶屋に行こう」
ぼくは力無く頷く。……どうも、アイラが相手だと調子が狂うなあ。
「けど――アイラが負傷するなんて、山賊にも手強いやつがいたんだね」
帰りがけ、ぼくは気になっていたことを聞いてみた。
アイラは強い。ぼくなんかよりよっぽど、強い。そのアイラが不覚をとるってことは、よっぽど相手が手強かったのだと、ぼくは思ったのだ。
ところが――
「いや、弱かったぞ」
アイラは立ち止まった。
「だから油断したんだ。わたしは」
「油断した?」
「ああ。……というより、いつも油断していたんだ。未熟者だな」
そういってからりと笑う……え?いつも油断していたって、
「自分でも悪い癖だと思うんだが、わたしは戦いが始まると前しか見えなくなるんだ。それでも今まではアゼルが後ろをフォローしててくれただろう?」
「え、えーと」
「けど今回はフォローしてくれる人がいなかった。なのに、いつも通り無謀な行動をとってしまったんだな。そしたら、こう、後ろから矢を射かけられてしまった」
「後ろから……」
「ああ。痛かったぞ」
「ご、ごめん」
思わず出た言葉に、アイラは不思議そうに首を傾げる。
「別にアゼルは悪くないだろう」
……確かに。けど……
黙り込むぼくを余所に、アイラは続ける。
「お前は面白い奴だな。そんなお前だから――わたしは、いつの間にかお前に甘えていたんだな」
……え?甘えた?アイラがぼくに甘えていた――
ぼくはなぜか、アイラの今の言葉が嬉しかった。
頼りがいがあるとは思えないこのぼくを、頼りにしてくれることが単純に嬉しかったのだろうか。それとも――
「まったく、修行が足りない。すまないな。お前にも迷惑かけた」
「い、いや」
言葉は謝罪だけど、顔はにこにこ笑っている。アイラはぼくを面白い奴だといったけど、アイラの方が面白いと思うな。彼女なら、ヴェルトマーの血が騒いでも、あっけらかんと跳ね返してくれそうな気がする。
「――いいんだ」
「アゼル?」
「アイラが甘えても大丈夫なくらい、ぼくが強くなるから。ぼくが頼りない分いつもアイラが頑張ってくれたし守ってくれただろう?だからぼくも、アイラを守るよ。足りないところはお互いでフォローし合えばいいんだよ。ぼくは、君を……」
…………君を?
ぼくは、何をいおうとしてるんだ?
「君の、な、仲間、なんだから」
やっとそれだけ言葉にする。
「そうだな。これからも、よろしく頼む」
アイラはにっこり笑って、ぼくの手を取った。
そしてそのまま、歩き出す。
ぼくは――勇敢で無謀な、エーディンとは似たところの全くない彼女のことが、いつの間にか自分の心を多く占めていたことに、気づいた。
オシマヒ。
20000113
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