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「詩を聴かせて」

テケリりんに捧ぐ。



 ――ヨハンが、イザーク城に居留していたときに見つけたものだそうだよ。

 リザイアの魔道書を受け取る際、ユリアはセリスからそう説明された。
 ドズル公子の兄の方がイザーク城を居城にしていたということは、確かに聞き覚えがある。
 その兄の方・ヨハンは、光魔法を修得する者に役立てて欲しい、そんなふうにいっていたそうだ。
 光魔法の魔道書は、そうありふれたものではないのに。むしろ、貴重なものなのに。

 無欲なのかしら。

 そんなふうに思ったユリアは、その日からなんとなく、ヨハンを観察していた。
 見れば見るほど、知れば知るほど、「おかしな」人物に思えた。



「おおラクチェ、君の言葉は小鳥の囀り、君の瞳は星の瞬き……」
 食堂の薄い扉越しに、ヨハンの声が聞こえる。
 その後に続く「どげし」という音。
 「うおー」というヨハルヴァの叫び声も聞こえて、その後に今度は「げいん」という音。
「あんた達、いい加減にしてよね!」
 ラクチェの怒鳴り声が続いたところを見ると、さっきの「どげし」と「げいん」は蹴った殴ったのどちらかだろう。
 広げた薬草を効能毎に分ける手を止め、ラナはくすくす笑った。
「懲りない人たちね」
 ラナの仕事――薬草の仕分けを手伝っていたユリアは、ラナの言葉に同意するように頷く。そして。
「ヨハンさんて、面白い方ですね」
「そうね。あの人は詩人だから」
 なにげなく。ラナは、ユリアの言葉にそう答えた。

 しかしそれが、ヨハン受難の始まりだった。



 かつて、尊敬する叔父が愛用していたという斧。それを携え、ヨハンは一人城の物見台に上がっていた。
 勇者の斧と呼ばれるそれは、前の戦いで敵将兵から取り返したものだ。同じく叔父を慕う弟もこの斧を欲しがっていたが、ここで使わずしていつ使う、の兄貴風を思い切り吹かして自分の所有物にした。
 それから戦闘のある毎、それを振り戦い抜いた毎、こうして一人斧を磨くのがヨハンの習慣だ。
 叔父への敬意か、それとも一振りの前に散っていった敵兵への哀悼か。
 感傷的な野郎だぜ。弟なら、そんなふうに揶揄するだろう。
 けれど。この時間が、ヨハンは割と好きだった。

 しかし。心地よい孤独は一人の闖入者によって破られた。
 石段を登る靴音。微かな衣擦れ。
 顔を上げたヨハンの目に入ったのは、赤みがかった銀髪を揺らした少女だった。
「うん? ユリア、どうかしたのか?」
 招かざる客とはいえ、無碍にあしらうようではフェミニストの名折れ。柔らかな笑みを浮かべ、ヨハンは用件を尋ねる。
「ヨハンさん、お一人ですか?」
 質問返しされてしまった。
 狭い物見台の上はどう頑張っても隠れる場所はないが、見ればわかるだろう、などとは答えないヨハンである。
「ああ。わたし一人だよ。誰か探しているのかい?」
 あまつさえ、用件を先読みしようとしたりする。
 だが。
「いいえ」
 返ってきた言葉は短かった。
「そうか」
 なら、なにをしに? そういいたくなるところだろう。しかし、いわれた方は、責められたと受け取るかも知れない。
 どうしたものかな。ヨハンは曖昧に笑った。
 そして、ユリアも、ふんわりと笑った。
「一番景色がいい場所だと、教えていただいたのです」
「そうか。……なら、わたしがいると、気が散るかな?」
「いいえ。ヨハンさんこそ、わたしがいて邪魔じゃないですか?」
「可憐な花に側にいられて邪魔だと思う男はこの世にいないよ」
 すると、突然。
 ユリアは、胸の前で、ぽん、と手を打った。
 そして。
「わたし、ヨハンさんにずっと聞きたかったことがあったのです。今、よろしいですか?」
「聞きたいこと? わたしに答えられるようなことだったら、なんでも聞いてくれて構わないが……」
「ありがとうございます」
 にっこり笑うユリア。
 つられて笑うヨハン。
 しかし。

「ラクチェの言葉が小鳥の囀りで、瞳が星の瞬きなら、ラナの言葉と瞳はなんですか」

「――は?」
 予想をある意味超越したユリアの質問に。
 笑みを貼り付かせたまま、ヨハンは固まった。
 ユリアはにこにこと、ヨハンの答えを待っている。
 どうして? と、それだけやっと言葉に乗せると、
「だって、ヨハンさんは詩人なのでしょう?」
 ユリアは小首を傾げた。
「わたし、ヨハンさんが詩人だって聞いたときから、ラクチェ以外の人のことはどう詩的に形容するのだろうって思っていたんです」

――果たして、わたしは自らを詩人と名乗ったことがあったのだろうか。

 ヨハンはそんな疑問に首を捻る。
 しかし、女性の期待を裏切るのは本意ではないし、趣味の域は出ないまでも、密かに己を詩人と自負してきたことは真実ではあった。
 思考を切り替えたヨハンは、小考の後、こう答えた。
「おおラナよ、君の声は黄金の鈴の音、君の瞳は琥珀の輝き……こんなところでどうだい?」
「……素敵」
「そうかい。わたしも、姫君の期待に応えられて恐悦至極だよ」
「それじゃ……フィーは?」
 その追加質問はなんとなく予想できた。
 緑の天馬騎士を思い浮かべ、ヨハンは動ずることなく答える。
「君の声は優しき涼風、君の瞳は新緑の朝露」
「フィーの瞳は、本当に綺麗な緑色ですものね」
「ああ。彼女でまず思い浮かぶのは、目に鮮やかな緑だな」
「はい」
 なぜか、ユリアは嬉しそうだ。
 そしてヨハンも、可憐な少女が己の理解者であってくれたことは素直に嬉しいと思った。彼女の期待に上手く応えることが出来てよかったと、心から思った。

 しかし、世の中そんなに甘いものではなかった。



「パティをどう形容しますか? リーンは?」

 シャナン王子が少女盗賊を連れて現れたときに、嫌な予感はしたのだ。
 その予感は、アレス王子が踊り子を連れて現れたときに確信に変わった。
 ユリアの、期待に満ちた視線。
 わくわくしたような様子。

 野営のキャンプで見張りに立っていたヨハンは、そろそろ交替の時間かな、と焚き火に新たな薪をくべた。
 そこへ、かさりと草葉を踏む音。
「お疲れさまです、ヨハンさん」
 ユリアが、温めたミルクを差し出す。
 受け取ると、ユリアはその隣にぺたんと腰掛けた。
「どうしたんだ? 眠れないのかい?」
「ええ。ちょっと、目が冴えてしまって」
「戦闘続きで気が高ぶっているのだろうな。本当は無理してでも眠った方がよいのだが」
「少し気晴らししたら、無理に眠ってみます」
「ああ、それがいい」

 ぱち、と火がはぜる。

「ずいぶん、人が増えましたね」
「ああ、そうだな」
 イザークからイード砂漠を抜け、フリージ支配下にあったメルゲンへ至るまでに、解放軍の人口は3割強増えた。

 進行毎にこの調子で人員を増やし続け、いつかグランベル軍を凌駕する解放軍。数の暴力で、アルヴィス皇帝をタコ殴り。

 そんなバカな想像に、一人苦笑する。
 我に返ると、ユリアが微笑んでいた。
 この感じは、覚えがある。
「わたし、ずっと考えていたんです。でも」
 逃げるべきかもしれない。勇士ネールとて、この場を逃げ出すことを責めはしまい。しかし。
「なかなか浮かばないものですね、言葉って。改めて、ヨハンさんってすごいんだなあって……」
「どうかしたのかい?」
 いい淀む様子を目の前にすると、つい促すようなことをいってしまう。
 ユリアは、そんなヨハンの言葉に勇気づけられたように、口を開いた。

「ヨハンさんは、パティはどう形容するんですか? リーンは?」

 たすけてネール様。



 火のはぜる音だけが辺りに響く。
 交代要員が現れる様子は全くない。

 ヨハンは、金色の髪の朗らかな娘と、そして緑の髪を一つに結った愛らしい娘を思い浮かべた。
「それじゃ、パティから」
「…………君の声は、小川のせせらぎ、君の瞳は、瞳は……」
 どこが小川でどこがせせらぎだか自分でもよくわからないが、とりあえず「声」はなんとか絞り出した。しかし、その後が続かない。
 ちらりとユリアに目を向けると、期待に満ち満ちた目。
 これは、裏切るわけにはいくまい。
 パティ、パティ、金色の髪の、太陽のような……

「君の瞳は、朝日の煌き」

 これしかあるまい。
 どうだい、といわんばかりのヨハンに、ユリアはこくんと頷いた。
「次はリーンだったな。うーむ……君の声は春のそよ風、君の瞳は」
 リーンの瞳は印象的な緑色。フィーと被るが、あちらが素朴な印象を与えるのに対しこちらは「磨かれた」美しさを感じる。

「翠玉の輝き」

 うむ、我ながら会心の比喩。ヨハンはそう自負する。
 しかし、ユリアは怪訝そうに首を捻った。
「どうかしたかい?」
「輝き、という表現は、ラナの時に使われました」
「………は?」
「ラナの瞳は琥珀の輝き。ほら、同じでしょう?」
 確かに、同じかも知れない。
「翠玉の、というのはとても綺麗ですね。翠玉の輝き……翠玉の煌めき。あ、煌めきも使われていますね」
 どうしましょう? 小首を傾げられ。
 ヨハンも頭を傾げた。「瞳」を表すのに、なにか適した言葉。瞬き、輝き、煌めき……
 素人詩人の語彙には限界があるのだ。そんな泣き言をいいたくなってきた。
 苦悩するヨハン。それを見て、なにか思うところがあったのだろう。ユリアはぱちんと両の手を合わせた。
「それでは、三回までは同じ表現を使ってもよいというルールに致しましょう」
「そうか、それはありがたい」

「っていうかルールってなんだよ」

 突然後ろから、脱力したような声。
 交代要員のヨハルヴァが、げんなりした様子で後ろの木にもたれていた。
 ユリアは、そんなヨハルヴァの存在を気に止めた様子もなく、新たなる形容をつぶやく。

「リーンの声は春のそよ風、リーンの瞳は翠玉の輝き」

 満足げに微笑み、ユリアは立ち上がった。
「それじゃ、わたしテントに戻ります。ヨハンさん、ありがとうございました。ヨハルヴァさん、頑張って下さい」
 ぺこりと頭を下げ、軽やかに去るユリアの後ろ姿に、ヨハンはほっと胸を撫で下ろした。
 そこへ、弟の冷たい言葉が降ってくる。
「一体なにやってんだ、兄貴」
「聞いてくれるな」
 ヨハンは投げやり気味に空を仰いだ。
 星が綺麗に、瞬いていた。



 ナンナ、ティニー、そしてアルテナ王女。新たな女性が解放軍に加わるたび、ヨハンはその形容に思いを巡らすようになった。
 いつ、ユリアが聞きに来ても大丈夫なように。
 ナンナ。金髪は三人目だが、テイストは前のふたりと大分違う。豪奢な少女。その声は風揺らす硝子の鈴、その瞳は澄み渡る空。澄み渡る空、では平凡だな。紺碧の空。イメージが違うか。
 ティニー。菫がかった銀髪の、儚げな少女。その声は秋風の囁き、その瞳は夕陽の愁い。春風はリーンの時に使ったが、秋風はまだ未使用だからいいだろう。なにが夕陽かは若干疑問だが、愁い、というのは自負していいかも知れない。
 アルテナ王女。褐色の髪の、張りつめた強さを感じる女性。その声は――

「その声は冴える月光、その瞳は炎の揺らめき……一見クールで、けど秘めるものは熱い、そういう感じでなのですね。声を表すものは「音」ではないけれど、イメージは伝わります」
「ありがとう」
 賞賛といってもいいだろう。ユリアの言葉に、ヨハンは素直に謝意を表した。
 結構苦し紛れではあったのだがね。そんな種明かしは飲み込んで。

 ヨハン先生の詩歌教室。
 そんなふうに渾名されるふたりのやり取りは、解放軍内で結構有名になっていた。巻き込まれないように、しかし興味津々と。ふたりの様子を、皆、生暖かく見守っている。

 こうしてユリアに気を取られている間に、愛しのラクチェは育ての騎士オイフェと結ばれ、他の女性達もほとんど軍内に伴侶を見つけていた。
 ヨハンは取り残された形にあるが、それに対する焦りは不思議とない。
 ユリアの期待に応えなくてはという重圧感。そっちの方が遙かに大きく、それどころではなかった、というのが正直なところ。
 けど、それももう最後だ。
 これ以上、女性は増えまい。そんな漠然とした予感がある。
 ようやく心から、ヨハンは安らぎを覚えていた。一仕事終えた、そんな充足感。

 しかし――

 茶飲み友達然と、ヨハンとテーブルを挟んでいたユリアは。
 たまたま通りすがったデルムッドに目を留め、こういったのだ。
「デルムッドは、どう形容するんですか?」
 デルムッドが前のめりに倒れ、ヨハンはテーブルに突っ伏した。
 アレはまだ終わっていなかったのか? 半ば怒りにも似た感情で、テーブルから身を剥がす。
「ヨハンさん?」
「ユ、ユリア……わたしの言葉は、美しい女性達を表現するに止めておきたいと思うのだが」
「あら、そうなんですか? けど、……女性のことしかうたわない詩人て、なんだか片手落ちですね」

――片手落ち。

 その言葉には、甚だしくプライドが傷つく。
 ヨハンは、意地になった。
「よし、デルムッドだな。うーむ、おおデルムッド、汝が言葉は……言葉は白馬の嘶き、汝の瞳は鯖の鱗」
「まてまてまてーい! 誰が鯖だ誰が」
 前のめりから立ち直り、ぞんざいな己の形容に笑うしかないデルムッドが割り込んでくるが、
「まあ、素敵。デルムッドさんの瞳は、鯖のような蒼。さすがですわ、ヨハンさん」
 本気としか取れないユリアの賞賛に、身体ごと退き、後じさり、逃げた。
 そしてヨハンは、こんなんでホントにいいのか? と頭に疑問符を張り付け、やけくそ気味に謝意を述べる。
「それじゃあ」
「ぎく」
 にっこり笑みで、ユリアは続けた。

「ハンニバル将軍は?」

――なんで、お世辞にも詩的とはいえない親父を、わざわざ詩的に形容せねばならんのだ。

 しかし、片手落ち、片手落ち、片手落ち………
 ひきつった笑みのまま、必死に考えるヨハン。

 その様子を眺めて、ユリアはいっそう微笑む。

――最後の最後に、自分をどう形容してくれるのか聞いてみましょう。なんていってくれるのか、なんだかとっても、楽しみ――

 そんな風に、ユリアは思ったのだった。
 

えんど。

20010112/20010113修正

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