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「しろやぎさんからお手紙ついた」 (前)


 おお ユリア
 我が愛しの可憐な花
 芽吹く頃 緑の木々の中
 密やかに白く咲く 可憐な花よ

 
 滔々とそれを朗読した王妹ユリアは、柔らかな、そしてどこか満足げな笑みを浮かべた。
 続いて。ぱちぱちぱち。と、拍手の音。
 王妃リーンが、こちらは非常に楽しげにころころ笑いながら、惜しみない賞賛の拍手、のようなもの、をしている。
 そんな妹と妻の情景――それはいつか渇望していた和やかな家族の情景だったはずなのだが――を眺めながら。
 グランベル王セリスは考えていた。とある疑問について。
 
 ――苦虫とは、どんな虫なんだろう。そして。どれくらい苦いのだろう。
 自分の今の表情を言葉で表すならば、「苦虫を噛み潰したような」と一〇人中七人は表現する気がする。
 残り三人はきっと「苦渋の表情」だ。
 苦しいほど渋い。どんな渋さなのだろう。
 
 グラン暦七七八年。バーハラ城謁見の間前室。或いは、控え室。 
 謁見の間に出る前に簡単に身支度をチェックしたり、或いは小休止を取ったり。そんなことが主だった目的となる部屋。よって、華美な装飾こそないものの、それなりに上品な調度が揃えられたこぢんまりとした一室。
 またの名を、セリス陛下のサボり部屋。
 そこで、部屋の主グランベル王セリスその人は。約二名の家族団欒をよそに、味覚についての益体もない考察を独り繰り広げていた。
 ユリアとリーンは、いまだ諸悪の根元たる薄青色の便せんを囲みきゃらきゃら話し込んでいる。
 
「うーん、緑の木々ってのは、イマイチだと思うのよ。だって花と木では上手く対比しないもの」
「けれどリーンねえさま。釣り合いが取れないという違和感が、より情景を際だたせているのではないでしょうか」
 
 そんな会話が、左耳から右耳へ抜けていく。
 ふと、濃い影を作る夕日が差す窓、その向こうへ目を向けてみた。
 青から橙へ綺麗なグラデーションを作る空が目に入る。
 
 あー夕日が綺麗だなー明日もきっと晴れだよー。
 
 ちょっと独りごちてみた。
 なんとなく、孤独だと思った。
 
 
 
 「聖戦」と呼ばれる神懸かった――ただの比喩でなく――戦争が終わった後、勝利者に残されたものは、荒廃する大地と人心、敗者の残党による不穏な空気や行為等であり、厳しい現実の始まりだった。
 解放軍の主だった者達にはそれぞれ父母に依るしがらみがあり使命がある。
 だから、彼らがそれぞれの祖国に旅立つことを、セリスは止める術はないし意志もない。ただ、なにか手に負えない自体が発生したら、お互い助け合おうと。ずっと仲間として付き合ってきた気安さから、そんな誓いを互いに立てあう。
 ところで、帰国してゆく彼らの隣りには。どういう訳か高い確率で、可憐な少女の姿があった。
 少女もまた解放軍の仲間であり、殆どの者が使命を背負う青少年達の肉親である。しかし彼女達の殆どが、兄や弟ではなく恋人と共に行くことを選択した。
 まあ、回り回って人数の帳尻は合っているようだし、大体リーンをバーハラへ留め置くことを彼女の弟に笑顔で承諾させたセリスに人のことをとやかくいう資格などない。
 ――戦争は終わったのだし、各々の気持ちに自由に従うのがいいと思うよ。
 そんな無責任極まりないセリスの台詞は、文書にまで残った公式のものだ。
 
 セリスのただ一人の肉親、リーフという従弟はいるがそれはさておきただ一人の妹のユリアは。恋人の国へ赴くことを選択しなかった。バーハラに残り亡くなった者達のために祈りたいと、そうセリスに申し出たのだ。
 ユリアが妹だと判明したのはほんの数日前。実の兄妹というものをもう少し味わいたかったセリスにとって、その申し出は喜ばしいものである。
 一応彼女の恋人の顔色も窺ってみたが、彼は鷹揚に頷いてみせた。
 それでセリスは。一も二もなく、彼女の申し出を受け入れた。
 なんて殊勝で美しい心がけだろう、と、内心感動したりもした。
 遠く引き離される恋人同士のために、せめてわたしが出来ることはなんでもしてあげるよ。
 そんなことまでいってしまったのは、余程気持ちが浮ついていたからだが、嘘偽りはない。
 
 そうして別れて暮らすことになった妹とその恋人は。同一王国内の王都と公国、と意外に距離の近いこともあって、割と頻繁に文を交わすことになった。
 けなげな往復書簡だ。直に声を聴き触れ合えない分、文字を綴り互いに届ける。いじらしい行為である。
 
 そのやりとりが、よもや自分にダメージを与えることになるとは。
 セリス一世一代の不覚であった。
 ペンは剣より強し。異国の賢人が発したらしいこの言葉は真実だったのだなあと、身をもって実感した。したくなかった。
 つまり、セリス王の妹ユリアの恋人は。
 詩人の異名も輝かしい、ドズル公ヨハン、その人だったのだ。
 
 
 
**********

 シレジアや
 ああイザークや
 トラキアや

 
「――なんだそりゃ」
 ドズル城執務室。
 領内視察という名の休暇旅行から戻り、形ばかりの報告書をこさえて兄の元を訪れたヨハルヴァは、突然の兄の朗読に思い切り眉を顰めた。
 薄桃色の便せんを愛おしそうに持つ兄。なにやら感激し、そうして発せられた不可思議な言葉の羅列。
 いや、言葉一つ一つは別に不思議もなにもない。地名だ。ただの地名だ。遠方にあり、かつての仲間達が統治する異国の名だ。しかし。
 怪訝な表情を隠しもせず、ヨハルヴァは兄ヨハンに問う。
「そりゃ一体、なんのまじないだ?」
「まじない? ……ふむ。まあ、武一辺倒で成らすのもよいが多少は教養を身につけた方がいいと兄は思うぞ」
「てめえ喧嘩売ってやがるか」
 剣呑な笑みを浮かべ兄へ一歩近づくヨハルヴァ。それへ、
 
「”ところでわたくし、最近ヨハンさまを真似て、詩を嗜むようになりました。まだまだ拙いものですが、忌憚なき感想など聞かせて頂ければ嬉しく思います”」
 
 更に読み上げるヨハン。
 気をそがれたヨハルヴァは、いっそう眉間のしわを深め、ついでに首も傾げる。
「あん? 一体なんなんだよ」
「ユリアからの手紙だよ。嬉しいじゃないかヨハルヴァ、我が愛しのユリアは、わたしの理解者なだけでなく、同志たらんとしてくれているのだ」
「あー……」
 つまりなんだ、あれは、ユリアの「詩」ってことか。
 肩についてしまえばそれ以上首は傾げられないのだな、と。そんな当たり前のことを、身を以て理解しながら。ヨハルヴァは思う。
 あれが、「詩」、ねえ。ずいぶんとまあ、風変わりな詩だ。
 詩を嗜むことはないが、これでも一時は「王国」の「王子」だった身。一般教養として若干の知識は得ている。しかし、ユリア作だという件の詩、それは、ヨハルヴァにはいまいち理解しがたい物体だ。
 しかし、ヨハンは随分感激している。
「あー……なんだ、兄貴、彼女が自分と同じ趣味に目覚めて嬉しいのはわかるがな、ちったぁ我に返れよ」
 思わずツッコミを入れる。すると。
「そうじゃない、ヨハルヴァ」
 ヨハンは芝居がかって振り返った。
「確かに、ユリアがわたしに詩を贈ってくれたことは嬉しい。しかしわたしは、それよりも、この詩に込められた彼女の想いに感激しているのだ」
 手紙を胸元に抱きしめそういった兄。
 その言葉を一瞬成る程と聞き流したヨハルヴァだったが、ふと思った。――込められた想い?
 後、この時どうしてそこにつっこんでしまったのかをヨハルヴァは末永く後悔することになるのだが。そんなこと知らない「今」のヨハルヴァは、なにも考えずこういった。
 
「一体、たった三行の詩にどんな想いが込められるってんだよ」
 
 愕然、といった表情を、ヨハンはその顔に浮かべた。哀れむような目をヨハルヴァに向け、大仰に頭を振る。
「なんということだ、ヨハルヴァ。お前に詩才の欠片もないということはわかっていたが」
「をい」
「この詩に込められた彼女の愛情溢れる繊細な想いが読みとれないとは、お前はなんて不幸な男なのだろう」
 こいつ蹴っ飛ばしてやろうか。
 剣呑な笑みで顔を引きつらせるヨハルヴァである。
「仕方ない。説明してやろう」
 やれやれ、といった風情で肩を竦め。
 ヨハンはもう一度ユリアの詩を詠み上げた。
 
「 ”シレジアや ああトラキアや イザークや”
 
 ――つまり、シレジアやイザーク、トラキアは遠い。それに比べればバーハラとドズルの距離など僅かなものなのだから。二国に別れていても、わたしたちは幸せである、と。その希有の幸運に感謝を捧げよう、と。そういう想いが込められた歌なのだよ。
 どうだヨハルヴァ、いじらしいではないか。健気ではないか。なのにそれが判らないとは、兄は情けないぞ」
 
 無茶いうな。俺は人間なんだ。
 ヨハンの説明に、ヨハルヴァは小声でひっそりつっこむ。
 そして、激しく浮かぶ疑問。
 
 マジでそういう意味なのか。兄貴の捏造や妄想じゃねぇのか。
 というかこれだけの文字からそこまで読み取らなくちゃならないのか。
 そして同じ異国なのに俎上に上げられなかったヴェルダンやアグストリアの立場は一体。俎上に上げられない方が幸いだろうが。
 
 なんとなく、本当になんとなく。最後の疑問だけ、発してみた。
「語呂が悪いではないか」
 兄は、なにを当たり前のことを、といわんばかりの口調で答える。
「ヴェルダンはそうでもないが、アグストリア。これはいけない。字余りだ。おお、それを無意識に外したのであれば、ユリアの感性は天性のものということだな。うむ、お前の疑問のおかげで彼女に素晴らしい才能が備わっていることが判明した。感謝するぞ弟よ。よし、早速手紙にそのことを」
「わーやめろやめろマジやめろ」
 その珍妙な遣り取りに俺を巻き込まないでくれ。
 ヨハルヴァの悲痛な叫びが、ドズル城に響き渡った。
 
 
 
**********

すべての花は 貴女のために咲き
すべての鳥は 貴女のために歌う

すべての風は 貴女の慰めとなり
すべての光は 貴女の上へ降りそそぐ  

 
 最初の手紙がドズルより届いたとき、便せんを――それは、今に至るまで一貫して薄青色の上品な便せんだ――そっと嬉しげに抱いたユリアは、セリス兄さまへの伝言もあるのです、そういって、国王夫妻の前で手紙を朗読した。
 この時、大人しく最初から最後まで拝聴してしまったのが、すべての始まりだったのかも知れない。
 ごく個人的な書簡をよもや全文を読み上げるとは、全く思いもよらなかったため行動が遅れたのだ。そこで根性入れて立ち直り、遮って該当部分だけでいいと告げることがどうして出来なかったのか。あの時の自分を室内履きで殴打したい現在のセリスである。
 
 バーハラ城謁見の間前室。
 クッションの効いた椅子に行儀悪く沈んだセリスは、手紙に添えられた詩を幸せそうに朗読するユリアの声、普段なら心地よく響くそれを、耳を塞ごうと持ち上がる両の手を最大限の努力で抑えながら聴いていた。
 隣りに座るリーンは、セリスとは対照的な表情でユリアを見守っている。微笑ましいよね。そういうリーンの目はとても優しげだ。
 
 ユリアが手紙を、セリスへの伝言のあるなしに関わらず毎度毎度律儀に朗読してくれるのはなぜなのか。いつかリーンにさりげなく訊いたことがある。リーンはこういった。
 
「幸せのお裾分けなんだって」
 
 お裾分けしなくていいから、とは無碍にはいえないセリスである。
 ヨハンの詩、それを聞かされるこのむずがゆさを、一体どう説明すればいいのか、セリスには全くわからない。ユリアはヨハンの詩を、信じられないことだが「いい」と思っているのだ。詩を贈られて嬉しがっているのだ。そんな妹に、この苦痛をどう伝えれば、どんな言葉を選べば、傷付けることなく理解してもらえるのだろうか。
 大体、素朴且つ剛健な少年時代を過ごしたセリスには、詩自体嗜むという習慣はなくそのための教養もない。それでもせめて、素朴なテーマや物語を詠ったものなら、ここまで苦痛ではなかったかもしれない。それが。装飾された言葉たち。叙情的で、主題は愛。聴いていて非常に恥ずかしかった。むず痒かった。通り越して苦痛になった。
 
 一体わたしは、こんな罰を受けなければならない罪を、いつ犯したというのだろう。
 セリスは悩んだ。真剣に。それは、生涯に於ける真剣さの上位五位に楽々ランクインする真剣さだった。
 ユリアがバーハラへ残るといったとき、もうしばらく兄妹気分が味わえると喜んだのが悪かったのだろうか。そしてそれを見たリーンが、じゃああたしもヴェルトマーに行ってコープルと姉弟気分を味わおうかなあ、と冗談交じりにいったのを、無理矢理引き留め強引に結婚式まで持ち込んだのが悪かったのだろうか。これはそんなわたしへの天罰なのだろうか。
 
 ほんのり頬を染め嬉しそうな妹と、それを暖かく見守る妻の姿に、セリスは深々と溜め息をつく。
 ああ神さま。この際ロプトウスでも構いません。僕が悪かったのなら謝ります。土下座も厭いません。ですからどうか、この哀れな僕を助けて下さい。
 セリスは祈った。ちょっとだけ、暗黒教団復活の萌芽かもしんない。
 
 
 
 いつの間にか、ユリアとリーンの会話は詩の寸評に変わっていた。
「鳥の次は風って、なんか展開が唐突じゃないかなあ」
「そうなんですか?」
「うん。飛躍し過ぎっていうか、バランス悪いよねえ。なーんて、あたしもちゃんと学んだ訳じゃないからわからないけどね」
 ふと、疑問がわいた。
 リーンはユリアの朗読をいつも楽しそうに聞いている。その様子になにか隠された意図を見つけることは出来ない。面白がっている、のかも知れない。けれど、負の感情は微塵にも感じられない。
 まさか。リーンは詩を贈るという行為、それも叙情たっぷりなクサいものを女性に捧げるということに、なんの抵抗も感じていないというのだろうか。
 その答えは、次の会話によってあっさりもたらされた。
「けど、詳しいです、リーンねえさま」
「ほら、あたし職業柄吟遊詩人や歌姫の知り合いが結構居たから。麗しのリーン緑の春風よ、なんて挨拶されて発想が安直ーとか切り返すのは日常茶飯事だったし、真面目に詩の表現について話し込んだこともあったのよ。音楽に上手く乗る据わりのいい言葉はなんだろう、とかね」
「そうだったんですか。すごいです、リーンねえさま」
 素直な賞賛に、すごくなんかないよ、と照れるリーン。
 「麗しの〜」のくだりでリーンを口説いた見知らぬ吟遊詩人に一瞬殺意を覚えたセリスだが、姉妹の情景には微笑ましく顔が弛んだ。口説いたわけではなくただの挨拶で、大体セリスとリーンは当時知り合ってすらいないというのは置いておく。
 けれどこれで謎は解けた。リーンはクサい行為に慣れているのだ。だからなんの抵抗も感じないのだろう。
 ――環境って恐ろしいよな。
 ある意味失礼なことを考えながら妻と妹を眺めていたセリスだったが。
 
 その天罰はすぐに下った。
 
「けど、愛されてるねえ、ユリアって。羨ましいなあ」
「リーンねえさまだって、お兄さまに愛されていらっしゃるじゃないですか。
 ――そうだ。お兄さま、」
 ぽん、と両の手を合わせて、ユリア。
 
「お兄さまも、リーンねえさまに詩を贈られてはいかがでしょうか」
 
 ひく、と頬が引きつった。
 身体が強ばる。椅子に身体を縫い止められたように、身動きがとれない。
 縋るように妻を見やる。視線に気付いた彼女は、苦笑し幽かに頷いた。
「あのね、ユリア。愛の示し方って、人それぞれじゃない。ヨハンはそれが詩を贈ることだし、セリスさまはまた別のかたちなのよ」
 ああ、リーンはわたしがアレを苦痛に思っていることをわかっていたのだな。自分は平気でも、そうじゃない人もいる。そんな簡単なことを、しっかりと理解してくれている聡明なリーン。感謝の念と、そして愛しさがこみ上げる。
 しかし。
「……そうですね」
 答えたユリアの声は、納得いっていない色がありありで。セリスは激しく、危機感を覚えた。
 

つづく。

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