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「スマイル」


 森と湖の国ヴェルダン。
 その、グランベルとの国境にほど近い密林の中に、黒髪の女剣士はいた。つい先程まではヴェルダンの兵士達も一緒だったのだが、いつの間にかはぐれてしまったようだ。
 彼女の名はアイラ。現在グランベルの占領下にあるイザークの王女だった。
 イザークが侵略され城が落ちる前夜、アイラは甥のシャナンを伴って国外へ脱出した。
 その後紆余曲折を経て遙か遠くヴェルダンまで逃げ延びたわけだが、これは二重の意味で失敗だった。
 イザークとはグランベルを挟んだ反対側に位置し、蛮族の国といわれるヴェルダン。グランベルからは蔑まされているがために国交はなく、隣国とはいえグランベルと交流のある他国よりは安全だ。安全なはずだった。
 最初の躓きは、よりにもよって第一王子に傭兵として雇われたことだった。第一王子ガンドルフはあろう事か甥のシャナンを「保護」という名目で捕らえ、アイラを意のままに働かせようとした。
 そしてなにをトチ狂ったのか、突然グランベルの一公国ユングヴィに侵攻し、公女エーディンをかどわかしてきたという。グランベル人と顔を合わせる可能性が最も少ないだろうと考えヴェルダンに身を寄せたというのに、あの色ボケ王子はグランベル軍がヴェルダンに攻め入る正当な理由を与えたのだ。
 全く、ついていない。
 アイラは顔を上げ、軽く首を振った。
 考え方を変えよう。グランベルは祖国イザークを侵略した憎き敵。それを討つ機会を与えられたと思えばいいのだ。
 だが。
 アイラはこの国に対して、甥が人質同然に囚われているという事実を差し引いたとしても、敵の敵は友、という感情すらいまだ抱けなかった。
 きっとあの顔面岩が品性下劣だからだな。
 アイラは、ヴェルダンの第一王子の厳つい顔を思い出した。
 
――あんなヤツのために、イザークの剣をふるうことになるとは。
 
 自嘲の笑みを漏らし、アイラは歩を進めた。
 
 
 
 ふと。
 後方から、がさり、と木々を分け草を踏む音が聞こえた。
 振り返り、大剣の柄に手をかける。
 
――敵か、味方か……
 
 はたして現れたのは、深紅のマントを羽織った魔道士風の少年だった。
 少年は驚いたようにこっちを見ている。
 見たところ一四、五歳くらいだろうか。
 
――シャナンよりはいくつか年上だろうか……。
 
 ジェノア城に囚われている甥の顔を思い出す。
 ガンドルフ配下のジェノア兵に魔道士はいないし、深紅の髪、紅玉の瞳というのもヴェルダン人にはそういないはず。
 
――まさか。
 
「お前は、グランベル人か?」
「そ、そうだ」
 アイラの問いに、赤毛の少年は答えた。
「……グランベル軍のものだな?」
 ちっ、とアイラは舌打ちした。
 
――こんな年端も行かない子供を戦場に出すとは。
 
 グランベルに対する嫌悪感がますます深まる。
「ならば、死んでもらう」
 アイラはすらり、と剣を抜き、そのまま袈裟切りに斬りかかった。
 しかし、少年はアイラの剣をかろうじて避ける。そして魔道書を構えると、呪文の詠唱を始めた。
 
――炎よ、いにしえの契約にもとづき、我に仇なす者を滅せ――
 
「ファイアー!」
 少年のはなった炎は、直前までアイラがいた場所に直撃。
 しかしアイラは素早く飛び退いている。
「くっ、炎を操るのか!」
 アイラは剣を構え直し、再び斬りかかった。
 だが――目の前の少年が、一瞬シャナンとだぶった。全く似てはいないのだが、子供相手に剣を振るうという罪悪感が、気持ちを苛んでいるのだろうか。
 自然、剣は鈍り、アイラの攻撃は全てかわされる。
 そうやって幾度攻撃し、炎をかわしたのか。
 アイラと少年はお互い肩で息をし、睨み合った。
 その時。
「ジェノア城が落ちたぞー」
 鬨の声が、聞こえた。
 
――ジェノア城が、落ちた?ジェノア城が……
 
「……シャナン!」
 アイラは一声叫ぶと、赤毛の魔道士にくるりと背を向け、城に向かって駆け出した。
 
 
 
 ジェノア城へ戻ると、グランベルの兵士と思しき青年達に囲まれて黒髪の少年――甥のシャナンの後ろ姿が、見えた。
「シャナン!」
 叫びざま、剣を抜く。
 しかし。
「アイラ!」
 振り返ったシャナンは、一声叫ぶと、駆け寄ってばっとアイラに抱きついた。
 そしてシャナンを囲んでいた青年達は、特に咎めるでなく、むしろ微笑ましく見守っているようだ。
「シャ、シャナン?」
 事情がいまいち飲み込めないまま、アイラは抜き身のままの剣が甥の小さい身体を傷つけないよう、気をつけて、そっと抱きしめる。
 そこへ、青髪の青年が近づいてきた。
「君が、アイラ王女だね」
「そうだが……あなたは?」
 アイラは青年の顔を訝しげに見上げる。
 青髪の青年は、グランベル軍指揮官シグルド、と名乗った。
「アイラ、この人がぼくを助けてくれたんだよ」
 シャナンが無邪気に笑う。
「助けた……?」
 要するに、ジェノア城を落としたグランベル軍が城の地下牢に囚われていたシャナンを発見し、助け出して保護した、ということらしい。
 アイラは彼の誠実な物いいに好感を持った。グランベルに対する反感はともかくとして、目の前にいるこの指揮官は信頼できそうな人間だと思った。
 そして――シャナンから事情を聞いたのだろう。しばらくの間でも自軍に身を寄せたらどうか、もちろん、身分は伏せていて構わない――と申し出てくれるシグルドに対して、アイラは素直に頷いていた。
「よかったね、アイラ」
 腕の中のシャナンが嬉しそうに見上げる。
「そうだな…」
 頭をなぜる。
 この子を守るためなら、敵軍に身を寄せグランベルのために戦うのもよかろう。いや――シグルド殿のため、と割り切れば、と決意して。
 
 
 
 ふと。どこかで見たような赤いマントが目の端に止まった。
 何気なく目を向けると、見覚えのありすぎる深紅の髪。アイラは思わず身構える。
「あ」
 アイラの姿に気付いた赤毛の少年は、一緒にいた長身の青年に何かいい、そしてこっちに駆け寄ってきた。
「君はさっきの―」
「お前はさっきの―」
 同時に口を開く。少年、の言葉が出る前に、
「アゼル、知り合いか?」
 少年の後からついてきた青年がいった。
「アゼル?」
 
――そうだ、あの時グランベル軍だといっていたのだから、シグルド殿の仲間であってもなんの不思議もない。
 
「やあ、アゼル、無事だったようだな。アイラは事情があってヴェルダン軍の傭兵をしていたが、我々の仲間になってくれることになった、のだが……知り合いなのかい?」
 シグルドの問いに、
「ええ、ちょっと」
 ね、といってアゼルは笑った。先程殺し合いをした者同志とは思えない、屈託のなさで。
 アイラは拍子抜けして、素直に謝罪の言葉を述べた。
「さっきは、すまなかったな」
「いや、お互い様だよ。さっき様子が少しおかしかったから、何か事情があるんだろうなとは思っていたけど――こうして仲間として再会できたのはとても嬉しいな。これからよろしくね、アイラ」
「ああ。わたしの方こそよろしく頼む。この子――シャナンとも仲良くしてやってくれ」
「ああ、もちろん」
 アゼルは身を屈め、シャナンに対して手を差し出す。
 シャナンはおずおずと、魔道士のそんなに大きくはない手にその小さい手を伸ばした。
 それを見守っていたアイラは、思わずの顔をほころばせる。
「ありがとう。この子はいつも大人にばかり囲まれていたんだ。年の近い友達ができて嬉しいだろう」
「え?」
「アイラ?」
 アゼルとシャナンが同時に疑問を発した。が、それには気付かずアイラは言葉を続ける。
「それにしても……お前は本当にグランベル軍の人間なのか?」
 アゼルは更に怪訝な顔になる。
「軍の人間、っていうか……」
「彼はエーディンと――ユングヴィの公女と親しい間柄でね。彼女を救出するためならと協力を申し出てくれたんだ。だからわたしの指揮下には入っているが、むしろ客将だろうな。こう見えても優秀な魔道士で、とても助かっているんだよ」
「こう見えてもってどういう意味ですか」
 シグルドの説明に、アゼルは苦笑する。
「いや、魔道士として優秀なのはわかっている」
 アイラのきっぱりとした口調に、なら何が、とシグルドは問う。
「これから世話になる身であるし、他国の軍の編成に文句をつけるようで気が引けるのだが……」
 アイラはいいよどんだが、
「いや、遠慮はいらない。わたしも指揮官としていたらない部分がまだまだ多いということは自覚している。なんでもいってくれ」
 と促され、それでもしばし躊躇していたが、思い切ったようにシグルドに向き直った。
 
「戦場に年端もいかない子供を出すというのは、わたしはどうかと思うのだが」
 
「こ、子供?」
「アゼルのこと、ですか?」
「そうだが」
 しごくまじめな顔でアイラが頷くと、アゼルの後に立っていた青年が吹き出した。
「こ、こ、子供……、た、確かに……」
 顔を伏せ息も絶え絶えにいう。
「レックス!」
 アゼルは真っ赤になって青年――レックスに一瞥をくれ、そしてアイラの真正面に移動した。目線は――女性としては背の高めなアイラよりは、少しだけ低い。
 「アイラ――ぼくは、確かに、童顔だけどね」
 一言一言、区切って。
「あ、ああ」
 アゼルの今までにないややドスの利いた口調に、アイラは小首を傾げる。
 
――なにか、まずいことをいっただろうか……。
 
 そして逡巡の後、アゼルの態度を勝手に解釈し、火に油を更に注いだ。
 
「すまない、子供扱いをして。背伸びをしたい年頃なのだな」
 
「!」
 アゼルの顔が、ビキ、と擬音付きで強ばった。
 いつの間にか地面に伏せているレックス。震える声は辛うじて「せ、せの……」とだけ聞き取れる。
 そしてシグルドは、二人に背を向け下を向いていた。
「どうか……したのか?」
 
「アイラ」
 
 アゼルの発した声は、地獄の底から響くかのように低くかった。
 突然暗雲立ちこめたようなアゼルに、アイラはやや身を引く。
 
「ぼくは今年二〇歳になったんだけどね」
「うん?」
 
――二〇歳?二〇歳ということは生まれてから二〇年立ったということだな。シャナンが一〇歳だから丁度倍か……え?……わたしは今……だから……。
 
 アイラはアゼルを指さして叫んだ。
 
「じゃあお前はわたしより年上なのか!?」
 
 アゼルは昏い目で沈黙を返す。
 
「わたしは今一九歳なんだが……」
「……」
「二〇は一九より……少ないかな?」
 怯えたようにアイラにしがみつくシャナンを見下ろすと、一つ多いよ、と聡明な甥は小さく答えた。
「そうか……すると……」
「……」
「その……」
「……」
 
「わ、若く見られるというのはいいことだと思うぞ」
 
 フォローになるのかならないのかよくわからないアイラの言葉に、アゼルは脱力してへたり込んだ。
 アイラはしゃがんでアゼルの顔を覗き込むと、「ホントに悪かったと思っているんだぞ」といって、すまなそうな、ちょっとひきつった笑みを向けた。
 

とぅ・びー・こんてぃにゅうど?

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