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「お茶をどうぞ それから」 (前)

 *「お茶をどうぞ」の続編になってます。

 ベイクドチーズケーキ、栗のクリームを絞ったスポンジケーキ、ドライフルーツのパウンドケーキ。
 頭の中を焼き菓子一色にして、ユングヴィ公女ブリギッドは歩いていた。
 回廊から中庭に抜けると厨房は近い。
 甘い香りがするような気がする。
 そんなことを考え、自然、口元がほころぶ。

 休日、お菓子作りが趣味だというシアルフィの騎士のご相伴に預かるのが、シレジアに来てからのブリギッドの習慣だった。
 男が大声で主張できるものではないですが、との前置き付きの、アレクの特技を知ったのは、ほんの偶然のこと。
 あの日、暇に任せて城中散策してよかった、としみじみ思う。
 それほど、アレクの手による焼き菓子たちは、極上だった。
 いい切れるほど、焼き菓子に精通しているわけではないのだけど。
 今の自分にとって、アレクの焼き菓子が最上で、それを休日ごとに振る舞われる幸運の下にあることが、大事なのだ。

 ふふふ〜ん、と鼻歌を歌いながら中庭を突っ切ろうとしたブリギッドは、しかし、二人分の人影に立ちはだかれ、その足をあわてて止めた。

「お姉さま」

 やんわり、にっこり、けどどこか引きつった笑みを浮かべ、ブリギッドを呼び止めたのは。双子の妹で、瓜二つだけど似ていない、と矛盾した評価を受けるエーディン。
 そしてそのエーディンに並んで立つのは、一児の母とは思えないあどけなさを残すレンスター王太子妃殿下、エスリンだ。

「ど、どうしたんだい、二人そろって?」

 ブリギッドは、妹と同じ引きつった笑みで、けどその目は明後日を向いたまま、二人の現れた訳を尋ねた。
 尋ねるまでもなく判っていたけど。

 物心ついたときには海賊の頭の娘。オーガヒルの荒くれ者の中に育ったブリギッドは、物腰も言葉遣いも、仕草のいちいちが貴族の娘とはほど遠いものだった。
 それを、少しでも改めよう、恥ずかしくない程度の礼儀作法を指導しよう。そう決意したのはエーディンの愛情だろう。いつかバーハラへ帰還したときに、衆目に蔑まれないように。
 その心遣いはわかる。わかるが、ブリギッドには苦痛だった。
 かしこまった空気は苦手なのだ。じっとしとやかにしているなんて性に合わない。訓練場で汗の一つも流す方が有意義ではないか。
 ――なんてことを、己を探すために僧職を選んだという優しい彼女に面と向かっていえるわけもなく。
 結果、ブリギッドは、ただ逃げ回っていた。
 今のところ、八勝二敗三分け、というところである。三分けというのは、追いつめられあわやというときに夕餉を知らせる鐘が鳴ったのをいう。

 こんな休日にまで探しに来るなんて。せっかくの休みなんだし、旦那とでも出かけたらいいじゃないか。
 背中に冷たいものが落ちるのを感じるブリギッドである。

「お姉さま」

 もう一度、呼ばれた。

「だ、だから、なんだい」

 往生際悪く、もう一度、とぼけた。

「今日こそ」
 ますますの強い笑みで。
「今日こそ礼儀作法の基礎をマスターして頂きますからね!」

 あう、と。ブリギッドは力無く頭を垂れた。



 休日の厨房のギャラリーがいつもの三倍増しになったのは、こんな理由からであった。
 呆れたように、アレクがため息をつく。
「要するに、エスリン様とエーディン公女は、ブリギッド公女が逃げ出さないように見張っていると、そういうことで宜しいんですね」
 アレクのまとめに、三人三様に頷く。

 今日はどうしても外せない用事があるんだ、と抵抗したブリギッドは、じゃあその用事が済んだら宜しいんですね、とエーディンに切り返され。
 用事の内容にピンときた事情通のエスリンが、「そういえばアレクってとても料理が上手かったのよね」とシアルフィにいた頃のことを思い出し。
 「ああ、そうなんだ。そうだ、あんたたちも一緒においでよ」、そうブリギッドが提案するに至り。
 共にご相伴に預かることに落ち着いたのだという。

 アレクにそういわれるまで、己の見張りを提案したことには気づいていなかったブリギッドは、慌てたように妹たちを振り返った。
「そ、そうなの?」
「そうなるわねえ」
「いや、あたしは、みんなで食べたら楽しいかな、って思っただけなんだけど」
「………まあ、いいんですけどね」
 肩をすくめ、待っている間手持ち無沙汰でしょうから、とトレイの上の茶器をテーブルに並べる。
「た、たまにはいいだろ、にぎやかで」
 ブリギッドは、なにかを取り繕うように、そんなことをいってみた。
「そうですね」
 アレクは無表情で同意し、茶葉の缶を開ける。
「あ、アレク、お茶はわたしがいれるわ」
 気安い元シアルフィ公女が茶器セットをひったくった。
 そうですか、では、お言葉に甘えて。
 そんなことをいって笑って、アレクはあっさり、エスリンに仕事を任せる。

 おや、と。ブリギッドは首をかすかにひねった。
 わたしがやろうとしたとき、公女様にそんなことさせられませんよ、そういって止められたのに。それが常なのに。
 ――ひょっとして、わたしのいれるお茶は凄く不味いとか思っているのか?

 むっとしたのが顔に出ていたのだろう。
 エスリンが不思議そうに、顔を覗き込んでいた。
「な、なんだい?」
「アレクが入れるお茶の方がよかった?」
「――へ?」
「でも、わたしだってお茶を入れるのは上手なのよ。だって、シアルフィにいた頃は、よくやっていたのですもの」
 なにを誤解したのか、エスリンはいいわけをする。

 シアルフィにいた頃、レンスターに輿入れする以前。
 シグルドの直属に配されたアレク他二名は、シアルフィによく出入りし、自然、エスリンとも親しく接するようになった。

 アレクのお菓子とわたしのいれるお茶で、よく休憩を取ったの。そう、懐かしく語り。慣れた手つきで茶を注ぐ。
「さあ、どうぞ」



 なかなかに、奇異な光景だった。
 まったりと、公女たちがお茶をすすっている。油や煤で汚れた厨房の一角の、簡素なテーブルに陣取って。
「こういうこぢんまりしたのも、いいわね」
 オーブンにタネを入れ、後は待つだけとなったアレクに向かって、エスリンは意味ありげに笑って見せる。
 意味を掴みかねたのか、掴みかねたふりをしたのか。アレクは困惑したように首を傾げた。
「お姉さまったら、いつもここに逃げ込んでいたのですね」
 恨めしげに、エーディン。
「アレクさんまで、わたしを謀ってくださいましたのね」
 更に、アレクにも目を向ける。
「なにかあったの、エーディン?」
「以前、お姉さまを見なかったかと、アレクさんに尋ねたことがありました。そのときに、休日は厨房によく見えるって、教えて下さればよかったのに」
 エーディンは拗ねる。だが、それをして謀ったといわれるのはアレクも心外だろう。
「すみません、エーディン公女。あのときはそこまで考えが回らなかったのです」
 素直に、アレクは頭を下げた。
「アレクが謝ることじゃないよ。エーディン、変なこといってアレクを困らせちゃダメだろ」
 な、と。ブリギッドがアレク頷いてみせると。
 すみません、もう一度そういって、アレクは目をそらした。
 うん? ブリギッドは首を傾げる。なんだか、変な感じがする。なんだろう。

 ああそうだ、と。
 不意にエスリンが、明るい声を上げた。
「ねえ、アレク。また昔みたいに、兄上を囲んで、お茶会をしたいわね。みんなも誘って、にぎやかに」

 エスリンの兄にしてアレクの主君シグルドは、妻ディアドラの失踪と軍の命運という重責を担っている。苦悩する兄が少しでも元気になることを、エスリンは心から願っていた。

 それでね、と続ける。
「わたしがとっておきの茶葉を出して、みんなに振る舞うの。アレクも昔みたいに、お菓子を拵えてくれないかしら?」
「それなら、お安いご用ですよ」
 エスリンの要望を、アレクはあっさり承諾した。
「そうですね。今日作っていたのはマドレーヌなんです。茶会のお茶請けメニューの第一候補にちょうどいいと思うんですが。試食として、召し上がってみてください」
 おどけた給仕よろしく、一礼。
「まあ、じゃあ今日はとてもタイミングが良かったのね。楽しみだわ」
 くすくす笑う。

 それは、とても気安い雰囲気だった。主君の妹、騎士、という間柄以上に、親しげな。
 それでまた、なんとなく。
 ブリギッドは首を傾げた。なんとなく、愉快ではない気持ち。

「どうかいたしましたか、お姉さま?」
 ブリギッドの様子に、エーディンが声をかけた。
「え? ああうん、なんでもない」
 なんでもないんだ、そういって。
 つい、と顔を上げる。
 不意に、アレクと目があい。そらされた。ような気がした。さりげなく。
 あれ、気づかなかったのかな、と一瞬思い。けど、と思い直す。結果、むっとして、ブリギッドはアレクを睨む。
 アレクは取り繕うように、ああそろそろだな、そんなことをいって、場を離れた。
 それを。エスリンとエーディンは、興味深げに、見ていた。



 大ぶりの皿にのった、貝殻を模した形状の。狐の背のような焼き色の、甘い香りの焼き菓子は、心からの賞賛の声に受け入れられた。
「色好し、香りよし、味は……」
 もっともらしい顰め面で一口。エスリンは、んー、と目を瞑る。
「腕を上げたのねえ、アレク」
「本当に、とても美味しいわ」
 王太子妃殿下とユングヴィの妹姫の素直な感想に、シアルフィ騎士は慇懃に頭を下げる。
「ありがとうございます」
「いつもこれをブリギッドが独り占めしてるのね。ずるいわ」
「へへん。いいだろ」
 意味もなく、ブリギッドは胸を反らした。
 いつもならこの辺りで、ちゃちゃや、あるいは呆れたようなわざとらしいため息が、入る。はず。
 けど。つっこみ役は、曖昧に肩をすくめるだけだ。
 それでまた。ブリギッドは、説明のできない感情を沈殿させる。
 

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