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「お茶をどうぞ それから」 (後)
マドレーヌはとても美味しい。様々な果実などの入ったタルトやケーキもよいけど、こういうシンプルなものもいいな。
なのに。
和やかな空気の中、なにかブリギッドは面白くなかった。
違和感。いや、疎外感。ううん、似てるけど違う。なんだろう。いらいらする。
エスリンとアレクが親しげで、エーディンもそれに馴染んでいて、自分の知らない時代を共有するものたちに取り残されたように感じたから、そう思った。
確かに、半分はそれっぽい。けど、もう半分は違う。
アレクだ。
にこやかに給仕するシアルフィの騎士。けど、なにかよそよそしい気がする。
エスリンとエーディンの前だから、よそ行きの態度をとっているのだと思った。
普段のアレクは、なにがおかしいのか、人のやることなすことに笑い転げたりする。それは確かにほめられた態度じゃないだろう。あたしは気にしないけどさ、と付け加えて。
それを、この二人の前では見せられないと判断したのかもしれない。
でも、それだけじゃ説明が付かないこと。
――どうして、あたしを、見ようとしないんだ?
一瞬だけ悩んでみたが、やはり考え込むのは性に合わない。
それで、まだ半分も消費されていないマドレーヌを前に、ブリギッドはいった。
「アレク、なんか今日は、変じゃないか?」
「は?」
返事と共に向けられる視線。それが。今度は、さりげなさを装う余裕なく、慌てたようにそらされた。
まずい、と。舌打ちせんばかりの表情は一瞬で隠れたが。
ブリギッドは、見逃さなかった。
「やっぱり。なんなんだい? なんかあったの?」
そこへ。
「ストップ」
制止をかけたのは、エスリン。
「えーと、突然だけど、わたしたち、これでお暇するわ」
「エスリン?」
本当に突然の言葉に、エーディンが慌てた声を上げる。非難の響きが交じった。
「まあまあ。お作法ならまだ機会があるわよ」
「でも」
「いいからいいから」
それでも困惑するエーディンと、お持ち帰りの焼き菓子を携え。エスリンは、慌ただしく厨房から出ていった。
「………えーと?」
その立ち去りっぷりの鮮やかさに。アレクは、首を傾げた。目に入ったブリギッドのカップが、空になっているのに気付く。
「おかわりを?」
「ああ、もらうよ」
ずぞぞぞー、と。新しく注がれたお茶をひと啜り。ふう、とブリギッドは息を付く。
我に返った。
「ってなになごんでるんだい。そうじゃないだろ、アレク」
「と、いわれましても」
とぼけるが。
「とにかく、そこ」
エスリン達が立ち去って空いた椅子に、座るようブリギッドは促した。ごまかされる気は、なかった。
仕方ない、という態度ありありで、アレクはブリギッドの向かいに腰掛けた。
ふう、などとわざとらしく息をついているものの、目は合わせようとしない。
その頬を、両の手で挟み。ブリギッドは強制的に、自分に向けた。
「なあ。なにか、あったのか?」
「いえ、別に」
観念したように顔を上げ、それでもまだどこか曖昧に、アレクは答える。
「別に、ってことないだろ」
「ありますよ」
「だって、なんか怒ってるし」
「なんですかそれは。怒ってないですよ」
「そうか?」
「そうです」
「嘘だろ」
「なんでですか」
「だって、不機嫌だよ」
「別に、不機嫌じゃないですよ」
「嘘だ。不機嫌だ」
「不機嫌じゃないです」
「不機嫌だ」
「違います」
「不機嫌だろ?」
「………」
「アレク?」
「…………」
「アーレークー?」
むにむに、と。ブリギッドはアレクの両頬を引っ張る。
それを、アレクは軽く払い。
「……ええ。
ええ、ええ、ええ。不機嫌ですよ。これを不機嫌というんなら、確かに俺は不機嫌なんでしょうよ。いつも鈍いくせに、どうしてそんなことには気付くんですか」
「む。あたしは鈍くなんかないよ」
「鈍いですよ」
「鈍くない」
「鈍いです」
「鈍くなんか」
ふう、とタメイキ一つ。
「……俺は別に怒っていないし、不機嫌にもなってません。ただ、意識の違いや距離を改めて思い知って、少し悲しくなっただけです」
「距離?」
「……すみません」
軽く頭を振り、笑って。
「俺が子供じみて、当たり前のことを失念していただけなんです。公女が気さくに接してくださる方だから、つい――」
黙り込み、表情を消し。改めてブリギッドに向き直ったアレクは。
「いえ、なんでもないです。今日の失態は忘れてくださると助かります。そうですね、オレンジケーキで如何ですか?」
冗談めかして、賄賂の提案をする。
「だめだ」
ブリギッドは乗らなかった。
「……」
「あんたがなにをいいたいのか、全然わからない。ちゃんと説明してくれ」
このままうやむやにしちゃいけない、そう確信した。
「わからなくていいんですよ」
「いやだ」
「公女」
困ったように、アレクは肩を竦めるが。
「いーやーだっ」
ブリギッドは頑として譲らない。
だだっ子だ。
今まで蓄積した訳の分からない感情の鬱憤も、それを強く後押しする。
八つ当たりともいう。
それをじっと見つめていたアレクは。肩を竦め、立ち上がった。
「?」
「お茶を、入れ直してきます」
「そんなの」
「それから、わかるように話します。少し、待っていてください」
湯気の立つお茶を啜り、あち、とブリギッドは声をあげた。
それを見て、アレクはくすくす笑っている。
ああ、いつものアレクだ。
笑われて腹を立てるより先に、ほっとした。なんとなく嬉しかった。
それで、ブリギッドも笑った。
アレクはふっと目を落とし、それから窓の方を見た。鎧戸が三分の二ほど開けられており、冷たい風がたまに入ってきては間に立てられた衝立にぶつかる。青い空には、ミルクを一滴落としたような薄い雲がよぎっている。
「公女」
そのまま、アレクは口を開いた。
「うん」
「今日、エスリン様たちとご一緒している公女を見て、思ったんです。――まあ、今までそれを失念していた俺の方がおかしいんですが」
「うん?」
「この方は公女様で、ユングヴィの次期当主となられるべきお方なんだなと」
「うぅん?」
「本来、一介の騎士である俺がなれなれしく接し得る方ではない」
「……」
「それを、公女が気さくなのに甘えて、気安く接しているうちに。俺は、思い上がってしまったのかも知れないなあと」
「なんだい、それ」
「俺は、自分があなたにとって、隣国の騎士である以上に近しい位置にいると、そしてあなたも、俺にとって隣国の姫君である以上に近しいのだと、思い込んでいた」
「別にいいじゃないか。ホントのことだろ」
「いや、そうじゃなくて――あなたは、本当にただ気さくなお人柄で、そしてその気安さは、全く分け隔てない。
それを俺はいいように誤解して、自分は特別なのかもしれないと、思いたかった。それはけど俺の勝手な思いこみなんだと。だから少し、距離を置かなくてはといけないなと、そんなことを考えたら、悲しくなった」
ブリギッドに向き直り。
「俺の態度がおかしかった理由は、こうです。
――つまり――俺は、
あなたが好きなんですよ」
「え」
突然の言葉に。ブリギッドは固まる。
それに自嘲するように笑って。アレクはブリギッドから目をそらし、立ち上がった。
「理由がわかって、すっきりしましたか?
そうしたら、今日のことは忘れてください。今までと同じに、っていうのは俺にはちょっと難しいですが、公女が望むならおやつ係は続けても構いませんし」
そういって、笑う。
しかし。
「いやだ」
断固とした声音だった。
ブリギッドは、自分の頭の中がクリアになっていくのを自覚していた。
やっと――やっと、わかったのだ。鬱屈した、自分に不似合いな感情。
子供の頃に、養父と仲間たちの間にあった、自分が入り込めない絆がなぜか腹立たしくて。むくれていたら、一人前に焼き餅か、とからかわれた。
あのときの寂しさは、疎外感。けど、さっきの感情は、似ているけど、より暗く強く苦く、甘い。
嫉妬だ。
エスリンとアレクの間にある、自分の知らない時間に嫉妬したのだ。
――どうして?
「公女」
たしなめるような、声。
腹立たしかった。
よそよそしい態度が、なんだか悔しくて、頭に来て、けど、その理由を聞いて、嬉しくなった。
――そう、嬉しかったのだ。せっかく、嬉しかったのに。
なのに、それを、忘れろという。
「いやだ。絶対忘れない。アレクはあたしのことが好きだから、あたしのためにお菓子を作ってくれる。その方がいい」
「その方がいい、といわれても」
「だいたいなんだよ公女とか騎士とか距離とか。そんなの関係ないだろ。うっとおしいな」
「うっとうしいって」
「それにそれをいうなら、あたしは海賊の元頭だよ。あたしの方が、騎士様には釣り合わないじゃないか」
「釣り、合わない?」
「ああ。
――あ、そうか。そうだそうだ」
突然、思いついた。
身分がどうこうなんてどうでもいいことだって、アレクにキレイに証明してやる。
うん、と、強く頷き。
「足して割ったらちょうどいいじゃないか」
「はい?」
突然なにをいい出すんだ、と。アレクは激しく困惑しているようだった。
――足して、割る? なにとなにを。それに、ちょうどいいって?
頭の回りに疑問符が乱舞する、そんなアレクの様子に。
ブリギッドはにんまりした。
公女と海賊、足して割ったらアレクの位置と同じだ。
なんの根拠もなく、全く理屈も通ってはいない。しかし、ブリギッドの中では、すっきり筋が通っている正しい理論だった。
――わかんないのかな。ちゃんと教育受けてんだろうに。
それはアレクの常識を超える発想だったから、わかり得ないだけなのだが。なんとなく、溜飲が下がったような、そんな気分になった。
「とにかくね。そういうことだから、公女とか騎士とかは問題にならないんだよ」
「はあ……そういうものですか……」
力強い断言に、納得しかけている。ふと、アレクの頭に、先程から浮かんでは消えるもう一つの疑問が、再浮上した。
「公女、さっきから引っかかってるんですが……釣り合いとかちょうどいいとか問題ないとか、どうしてそんなに、」
途中で、言葉を引き取った。
「わっかんないやつだね。人のことさんざ鈍い鈍いいっといて。あんただって鈍いじゃないか。
あのね、」
ずい、とアレクに鼻先に指を突き出し。
「あたしはお菓子が大好きだけど、あんたのことも好きなんだ。
だから、あんたもあたしのことが好きで、とびきりのお菓子を焼いてくれる、そんな希有の状況を、手放すわけないんだよ」
勝ち誇ったように。どうだ、といわんばかりに。
ブリギッドは、笑った。とびきりの笑みで。
惚けたようにそれを見ていたアレクは。
不意に力が抜けたのか、厨房の、タイル貼りの乾いた床にへたり込み。
突然吹き出した。
そのまま、馬鹿笑いし始めた。
「む。なんだい。なにがおかしいのさ」
むっとした表情で、ブリギッドは腰をやや曲げ、アレクを見下ろす。
金の波が、アレクの上で揺れた。
「い、いや……」
目尻に涙を溜め笑いをこらえながら。
「俺より幸せなものはいないな、と」
そういって、頬をくすぐる金の一房を手に取り、口づける。
途端。
真っ赤になったブリギッドは。乱暴に己の髪を引き取った。
それになおいっそう笑うアレク。
ふんだ、蹴っ飛ばしてやろうか、こいつ。
そんな凶暴なことを考え。どかっ、と椅子に座り直し、まだ一つ残っていたマドレーヌを、かじる。
口の中に広がる甘み。
ああしあわせだな、と。まだ肩をふるわせている男を見下ろしながら。そんなことを思って。
ブリギッドは、しみじみと、するのだった。
前へ。 えんど。
ところで結果的にキューピッドとなったエスリンは。
「雨降って地固まる、ってヴェルダンのことわざだっけ」
「そうなの?」
「あれ、違った? まあいいわ」
なんだかよくわからない、という表情を隠しもせず、首を傾げるエーディン。
「結局、今日もお姉さまにお作法を覚えていただくことがでなかったわ」
「まあまあ。でもひょっとしたら近々おめでたいことが起こるかも知れないし、そうしたら礼儀作法を覚えてもらう絶好の機会になるんじゃない?」
そうかしら、とエーディンは眉根を寄せる。
「だって、旦那様に恥をかかせるわよ、っていったら、いかなブリギッドだってちょっとは頑張るわよ」
「けど、その旦那様が、そんなことは気にしない、っていったら?」
「あ、確かにいいそうね」
顔を見合わせ、ため息をつく。
「まあそのときは、フォローできるように旦那様の方に頑張ってもらうしかないわね」
「エスリン、頼むわよ」
姉の教育に半分諦めの入ったエーディンに。
まかせて、伊達につきあいは長くないんだから。そういって、エスリンは自分の胸を、ぽん、と叩いた。
20010930
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