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「放課後」
偶然と偶然が重なった始まりは、運命的といってもいいのかも知れない。
けど、あんな運命はまっぴらだよ、とわたしは未だに思っている。
その日の放課後。わたしは挙動不審だった。
受験勉強で気疲れして、ちょっと気分転換したくて。夏の大会を後に引退した部活動に混ざって遊んできたのがついさっき。一五五センチとバスケットには絶望的に向かない身長ながらジャンプ力と運動力でレギュラーをもぎ取っていたわたしは――まあ、うちのバスケ部が弱小だからこそ出来たことなのだけど――後輩達に歓迎されたのが嬉しくて部活終わりまでたっぷり付き合ってしまった。
いい汗かいちゃったなあ、なんて後輩に差し出されたタオルで顔を拭って。
じゃあお先にねー、そういって体育館を後にしたのはいいのだけれど、バッシュを履き替えただけの制服姿で遊んでいたから、ブラウスが湿ってひんやりだ。このまま帰り道秋風に晒されたら、確実に風邪をひいてしまう。
荷物を取りに戻った教室で、からんとした空気と雑然と並ぶ机を眺める。
黒板の、日直の名前が今日のままだ。黒板自体は綺麗に消してあるのに、この片手落ちぶりがとてもらしい。いつも詰めが甘い彼女を思い出し、口元が緩む。
グラウンドからは、野球部員の声。週末に練習試合があるそうだから、もうしばらく練習は続くのだろう。
そのまま窓に目を向ける。中庭を挟んで、図書室。いつか、三階に図書室なんて不便なんだよ、と図書委員がぼやいていたけど、わたしも同感だ。休み時間にアップダウンなしで行けるのは有難いんだけど、その特権に与れるのは教室が三階にある三年生だけだ。その図書室からは、カーテン越しのぼんやりとした灯りが漏れている。けど、とりあえず窓際に、人影は見えない。
――よし。
ブラウス脱いで、ジャージ着込もう。ジャージに制服のブレザーってミスマッチにも程があるけど、背に腹は代えられない。ぱっと脱いでぱっと着るだけだから、更衣室まで行かなくてもいいや。
少しだけ、耳を澄ます。聞こえるのは、グラウンドの喧噪だけ。
わたしはブラウスを脱いだ。素肌にぺったりくっついたそれを思い切り剥がすと、すうっと空気が入る。湿った肌には、それは冷たく、火照った肌には、心地いい。
薄暗い教室に、半裸のわたし。どきどきして、ちょっとだけぞくぞくした。気持ちいい。ああわたしって、ちょっと変態さんかもしれない。
ついでに、ブラジャーを外す。意味ナシ、と容赦ない友人達にいわれるパッド入りAのパステルイエロー。ブラウス以上に冷たくて、これをしたままじゃブラウスを脱いだ意味がない。後ろ手に手を回してホックを外すと、緩んだそれから申し訳程度の膨らみが現れた。
しみじみと、見下ろす。
薄い。
なだらかだ。
例えるなら、凪の海面のよう。
はーっ、と息を吐いた。わたしはもう一八歳。身長は中一で止まったし、胸も中三以来増えもしなけりゃ減りもしない。体重も変わらないのが救いといっちゃあ救いだけど、それはむしろ努力と自制のたまものだ。
一生ナイ胸で過ごすのかなあ。なんとも侘びしい気持ちで、もう一度息を吐く。はあ。
――そんな消沈が。足音を、気付かせなかったのだと思う。
突然、がらっ、と教室の後ろの戸が引かれる音。
現れた彼は、わたしに気づいて目を見開いた。
わたしと彼は、固まっていた。
彼は、クラスメイトだ。寡黙でクールで格好いい、などと友人達は騒いでいたが、男の子達のエロ話に静かに混ざっている辺りむっつりだと踏んでいる。ちなみにここでいう格好いいに顔の出来はあまり関係ない。余程不自由なものでない限り、クラスメイトの贔屓目で女の子たちは格好いいと評するのだ。更に彼は妬ましいくらいの長身で、それが評価を引き上げている。そのくせ運動音痴らしい。それに対する、けっ、ざまあみろ、という感想はわたしの完全な逆恨みなのでつっこまないで欲しい。
とまれ、わたしとはあまり親しくない、むしろわたしが好感情とはいい難い鬱屈した思いを抱いている彼は、戸に手をかけた姿勢のまま固まっていた。なにかに、非常に驚いた様子で。
ふと、気付く。
彼の目線。やや、下方を凝視している。下方。わたしの胸部。胸。
――胸?
わたしは、我に返った。
慌てて両手で隠す。隠すほどのものじゃない、ってのは今は関係ない。このシチュエーションでナマ乳放り出したままってのはむしろ人としてダメだ。即座に悲鳴の一つも出なかった辺りで、既になにかがダメなんだけど。
「な、な、な」
今更のように、声をあげる。
けど、なに見てんのよ、と続けるより先に、彼ははっとしたように顔を上げ。後ろ手に、戸を閉めた。
閉めた?
すっ、と背筋が冷える。
閉じる教室。わたしと彼の二人きり。自意識過剰なわけではないが、これはかなりやばい状況ではないだろうか。
そのまま彼は、つかつかと歩み寄ってくる。
待て、ちょっと待て、少し待て、いやかなり待て。
わたしは静かにうろたえる。
けど、そんな内心の声になど気付くはずもなく、彼はどんどんわたしに近付いた。
後退ろうとして、椅子にぶつかる。そのままとすんと座り込む。
目前に、彼が立った。
わたしを、じっと、見つめている。
なんだかやけに空気が重くて、わたしは喉に絡まったなにかを無理矢理嚥下する。
少しの逡巡の後。
彼は両の手を伸ばした。胸の上に重なるわたしの腕を、掴む。
そのまま、抵抗する余裕もなく。腕は開かれ。
彼は再び、わたしの胸を、凝視した。
す、と顔が近づく。触れんばかりの距離。彼の吐息が、胸に当たって温かい。――いや、そういうことではなく。
わたしは相当に混乱していたのだろう。なにもいえずなにもできず、ただなすがままに、晒していた。
なんなの、一体なんなの。頭の中に、それだけがぐるぐる回る。
やばい、怖い、という感情は消えていた。彼の目が、とても真剣だったから。状況は滑稽極まりないのだけど。
けど、そんな、訳のわからない静かな時間は。やがて終焉を迎える。
「〜〜〜〜っ!」
わたしは思いきり腕を伸ばし。彼を突き飛ばした。
彼は、机やら椅子やらいくつか巻き込んでリノリウムの床に倒れ。肘をついて上体を持ち上げ、わたしを見上げている。
――――――、舐められた。
机の上に広げたままの、制服の上着を慌てて着込んだ。素肌にポリエステルの裏地は冷たくて不快だ。
「……しょっぱい」
呆然とした、彼の呟きが聞こえた。
かーっと頭に血が上る。
「わ、わ、悪かったわね。汗よ。汗かいたのよ」
とはいえ、口走る内容は我ながら意味不明だ。
「いや、悪くない。むしろいい。うん、素晴らしい」
「はあ?」
がたがたと倒れた机達から脱出し、彼は立ち上がった。
暗色の制服についた埃を払う。
ついで、倒れた机を起こし、落っこちた教科書やノートを拾って机の上に置いた。
そして、こっちに向き直る。
「な、なに」
真っ直ぐな目線に、思わずたじろぐ。けど、彼はわたしの態度など意にも介さず。蕩々と語りだした。
「なだらか過ぎる稜線、かすか過ぎる膨らみ、にもかかわらず小さすぎない、ピンクなんて嘘臭くないくすんだ色の乳輪」
わたしの顔が、段々ひきつる。
「素晴らしい。いや、素晴らしいなんて言葉じゃ足りない。俺の理想が見事に具現化している。しかもこの年齢でこれということは」
がし、と肩なんか捕まれたりして。
「未来永劫、この造形が維持されるということだ。――奇跡だ」
「う、」
「う?」
「うるさーい!」
わたしは、キレた。
立ち上がる。それでも彼の頭はかなり上で、見上げる格好になるのが更に頭にきた。
「うるさいうるさいうるさい。なんなのなんなの。かすかってなだらかって。くすんだにゅっ、」
憚れる単語に、つまる。
「乳輪?」
「そうそれ。じゃないっ。人のこと好き勝手いってくれて。悪かったわね悪かったわね。どうせナイ胸よどうせ薄いわよえぐれてるわよ背中と区別がつかないわよー!」
絶叫。なんか、最後の方なんか情けなくて涙声だ。ああチクショウ悔しい悔しい。なんでこいつに胸見られて貶されなくちゃならないのよ。
思い切り睨み付ける。
けど、彼は不思議そうに、心底不思議そうに、こういった。
「なんで、怒ってるんだ?」
それでまた、血が上る。
「なんで、って。わかんないの? わかんないの? 人のことさんざん貶しといて。わ、悪口いっぱいいって。怒るわよ怒るわよ怒るに決まって――」
「待て」
彼は、わたしの言葉を遮った。
「貶してないぞ。褒めてるんじゃないか」
「どこがよ」
「全部」
「はあ?」
なんか、頭がぐらぐらする。ぺたんと、再び椅子に腰掛けた。
さっきの言葉を反芻する。褒めてる? どこが。なだらか過ぎる、かすか過ぎる。ほら、どうみても貶してるじゃない。それから、……いや、そうじゃない。
「……理想?」
上目遣いに見上げると、彼は、おう、と頷いた。
「う、嘘」
「なんでだよ」
憮然として。
「変だ」
「ああ、それはよくいわれる」
「変態?」
「それは失礼過ぎないか、俺に」
「じゃあ、ホントに貶してないの」
「だからなんで俺が、やっと見つけた理想の胸を貶さなくちゃならないんだよ。あーそれにしてもラッキー。今日に限って忘れ物取りに戻ってきてよかった」
「よくない」
「あれで少しでも早かったり遅かったりしたらお前の胸見られなかったしな」
「胸いうな」
「じゃあおっぱい?」
「もっとわるーい!」
その後、やっぱり頭にきたわたしは、彼を殴り倒し教室から蹴り出し、ぶちぶち文句をいいながらジャージを着込み上着を羽織った。
けど、ふざけんなっつーの! と心持ち小声で喚きながら教室を出たところで待ってたと思しき彼に捕まり。
あれよあれよといいくるめられ家まで送ってもらうことになり、意外と近所だったことが発覚し朝迎えに来てくれる約束まで交わしてしまって、翌日には付き合っていることになっていた。
いつの間に、と友人達には驚かれたが、それを一番知りたいのはわたしだ。
彼は相変わらず無口で愛想がなくてバカみたいに背が高くて、それが突然胸を見せてとか触らせてとかいい出してはわたしを動揺させる。二人きりの時にしかいわない辺りいろいろ弁えてはいるのだろうけど、時とか場所も一考して欲しいと切に願う。
けど、五回に四回殴って残り一回頷いてしまうわたしは。流されてるし絆されてるしマヒしちゃったしイカレてるんだろう。
ともかくこれが。
誰にもいえないわたしと彼の、馴れ初めというヤツである。
20040212
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