阿武隈川の源流は福島県西郷村にある「旭岳」です。そこから白河市,須賀川市,郡山市,本宮町,二本松市,
福島市,梁川町を通って宮城県に入り丸森町、角田市、柴田町、岩沼市、亘理町の荒浜で太平洋に流れます。
 この間,釈迦堂川,逢瀬川,大滝根川,五百川,杉田川,荒川,松川,摺上川,広瀬川が阿武隈川に流れ込
んでいます。これらの川は阿武隈川の支流になっています。

阿武隈川の主な支流

歴 史

 中通り地方では,古くから阿武隈川水系の豊富(ほうふ)な水を灌漑などに利用しようと,用水や堰などの,いわゆる
利水工事が盛んに行われている。道具や機械力の乏しい時代は,工事に困難をともなったが,それでも西根堰や安積
疎水をはじめとする数々の工事が完成し,現在でも多くの人々の生活に役立っている。

安積疎水

豊かな水をたたえる猪苗代湖の湖水を安積平野に送る安積疎水は,安積野の開発には不可欠のものであった。当時
政府の役人であった奈良原繁(ならはらしげる)がこの疎水の原案を作成し,オランダ人技師のファンドールンらと協力
して明治12年(1879年)に工事に着工した。その後3年後に完成し,130キロに及ぶ長い水路を通った。猪苗代湖
の水は,安積平野を潤し,農民たちの命の水になった。

西根堰

 阿武隈川支流の摺上川の水を西根郷(現在の福島県桑折町・伊達町)の農業用水に利用しようと,当時信夫地方の
代官であった古河善兵衛が,すでに完成していた西根下堰の工事をした佐藤新右衛門と協力して,寛永元年(1624
年)から9年間の歳月をかけて長さ33キロに及ぶ西根上堰を完成させた。

舟 運

 阿武隈川舟運の歴史は古く,古代より流域の人々が物流などに川を利用しながら生活をしてきた。この舟運は中間の
阿武隈峡を境として上流域と下流域の舟運に分けられる。最もさかんに行われたのは,福島から河口の荒浜まで”天領
米”運搬のための舟運であった。
福島市と伊達郡,いわゆる信夫地方は,米沢藩上杉家の領地であったが,寛文4年,藩主「上杉綱勝」の死去により養子
の吉良三郎が家督をついだ。その時に三十万石の半分の十五万石が天領となったのである。
 江戸の豪商渡辺友以が,この天領米の回送をうけおい,巨費を費ついやして梁川から丸森まで猿跳などの難所を開削
を行い,航路を開いた。福島から丸森あたりまでは小型の小鵜飼舟で運び,そこから大型のひらた舟に積み替えて荒浜に
運び,,東廻り航路で江戸まで運んだ。阿武隈川の舟運は,このようにして,明治維新までの二百年にわたり,盛んに行
われたのである。

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